TOKEN OF LOVE
6
『』の中は日本語です。
レセプションパーティーが行われる新館は、最近手が入ったというのが分かるほど真新しかった。
和モダンというのだろうか、そこかしこに和風の素材がセンス良く散りばめられており、旅館という雰囲気を壊すことにはどうやらなっ
ていなかった。
「凄い、綺麗・・・・・」
浴衣の上に丹前という上着を羽織ってやってきたアレッシオは、自分の隣で目を輝かせる友春の様子に笑みを浮かべた。
「そんなにも気に入ったのか?」
「だって、本館とは全然雰囲気が違うし・・・・・やっぱり綺麗だと気持ちがいいものでしょう?」
「そうか?」
アレッシオにとっては趣のある今の部屋が十分居心地が良いが、若い友春にはそれよりもこちらの方が過ごしやすいようだ。
それならば部屋を変えてもらってもと思いもしたが、友春を可愛がった露天風呂をその日のうちに他人に使われるのはやはり面白く
ない。
(また別の日に来ればいい事か)
アレッシオ達が到着した頃にはロビーの中にはかなりの人間がいた。
私服の者もいたが大部分は浴衣姿で、思い思いにグラスを持って歓談を始めている。
(若い人間もいるな)
老舗旅館の得意先の人間を集めたのだろうが、それなりの年齢の人間以外にも若い女連れの客が多かった。
関係者の娘かもしれないが、チラチラとこちらに向けてくる視線が鬱陶しい。
「トモ、挨拶を」
「あ」
子供のように興味津々な眼差しで装飾を見回している友春の横顔を見ているのも楽しかったが、アレッシオは早く友春と2人き
りになりたかった。
アレッシオの言葉に友春は直ぐに我に返ったようで、先ほど玄関で出迎えた女将を捜し始めた。
「ケイ、僕ちょっと捜してきます」
「私も一緒に行こう」
「ケイはここで休んでいてください。イタリアから今日着いたばかりなんだし、疲れているでしょう?」
「トモッ」
「あっ、いた!」
その時、友春が声を上げる。
「ケイ、ここで待っていてくださいねっ」
友春は人波の中に目指す相手を見つけたのか走り出してしまい、アレッシオは一瞬その後を追うのが遅れてしまった。
「・・・・・っ」
アレッシオは口の中で舌を打つ。友春は自分のことを気遣ってくれているが、どう見ても疲れているのは友春だった。
アレッシオに抱かれたばかりの身体はまだ鈍い快感に襲われているのか、どこか気だるげな雰囲気を漂わせた動きは緩慢で、もし
かしたら誰かに攫われてしまうかもしれない艶っぽさがあった。
友春はきっとここが日本だからと安穏としているのかもしれないが、この日本でも人知れず連れ去られてしまう者というのは皆無
ではないはずだ。
友春に付けているガードはそのまま彼を守るように言いつけてあるものの、自分が日本にいる間友春を守るのは自分の手であり
たいと思う。
アレッシオは直ぐに友春の後を追った。
部屋でゆっくりと休みたいだろうに、アレッシオは友春の都合でこうしてレセプションパーティーにまでついて来てくれた。
申し訳ないという気持ちから、友春は最低限の挨拶をして失礼させてもらおうと思っていた。
なにより、たった今アレッシオに抱かれてしまった身体はずっと熱いまま、身体も重くて仕方が無い。とにかく少しでも早く用事を済
ませようと、今見掛けたと思った女将の姿を捜していた友春は、
「高塚様?」
声を掛けられると同時に腕を掴まれ、ハッと顔を上げてその相手を見上げた。
「えっと・・・・・有重、さん?」
その逞しい腕の主はこの旅館の女将の息子だった。
「どうされたんですか?」
「あの、女将さんに挨拶をしようと思って」
「女将に?」
「今回僕は父の代理としてここに来たし、お祝いの言葉をちゃん伝えたいと思って」
「・・・・・そんな風に思っていただいていたんですか」
なぜか有重は苦笑を零す。男らしい顔がその途端無邪気に変化して、友春は自身の強張った肩の力も抜けたような気がした。
もう大学も卒業をするという歳なのに、相変わらず人見知りの激しい自分が情けない。社会に出ればそれこそ、見知らぬ大勢の
人と係わり合っていかなければならないというのに、たった1人を相手にしてこうではどうにもならない。
(僕は・・・・・どうなるんだろうな)
アレッシオという恋人の存在を考えたら、簡単に就職は考えられなかった。
彼の仕事のこともあるし、事あるごとにイタリアに来るようにという誘いもむげには出来ない。
ただ、何もかもを日本に置いてアレッシオの元に行くことは、今の友春にはどうしても素直に頷けないものだった。
「どうしましたか?」
考え込んでいた友春に、有重が穏やかに問い掛けてくる。
そのさりげなさにさすが客商売だなと思った友春が小さく笑うと、いきなりその腰が抱き寄せられた。
「あっ?」
突然のことに驚いた友春が振り向く前に、熱い唇が耳元を掠めた。
「私の目の届かない所で浮気をする気か?」
「ケ、ケイッ」
こんな所で何を言うのかと、友春は腰に絡みついた腕を引き離そうと足掻く。
ここには自分達の関係を知らない人達ばかりがいて、少しでも変な空気を醸し出したら絶対に好奇の目で見られてしまうに違い
ないのだ。
(ケイは、自分が見られてるってことに気付いていない?)
新館に足を踏み入れた時から、中の女性達の視線は間違いなくアレッシオに向けられていた。
浴衣を着ているので上半身の逞しさはもちろん、高い腰の位置も分かるはずだ。どこかエキゾチックでありながらくど過ぎない端正
な容貌と相まって、絶対に声を掛けようと狙っている者はいると思う。
これだけ注目を浴びている時に、アレッシオがこんな形で自分に絡んできたら絶対に・・・・・まずい。
「ケ、ケイ、離してっ」
「・・・・・どうして」
「ひ、人がいるし」
アレッシオの碧の瞳が何かを探るように友春を見ていたが、不意にその視線が逸らされたかと思うと腰からも腕が離れた。
自分から離れて欲しいと訴えたのに、いざその通りにされてしまうと戸惑ってしまい、友春は不安に思ってアレッシオを見つめる。
「トモ、悪いがワインを貰ってきてくれ」
「ワ、ワイン?」
「ロゼを」
「は、はい」
どうして急にそんなことを言いだしたのか分からないが、友春はアレッシオの望むものを手に入れるために料理が並ぶテーブルへ
と小走りに駆け寄った。
友春の不安に揺れる眼差しに嗜虐心をくすぐられてしまったが、アレッシオは先ず友春を遠ざけてから確認しなければならないこ
とがある。
「私も、これで」
友春が立ち去った後、その後ろ姿を見送った有重がそう言って一礼したのを見たアレッシオは言った。
「お前、聞いたな」
「・・・・・何をでしょうか?」
「私達の部屋に侵入した・・・・・違うか?」
露天風呂で感じた気配と、部屋に戻ってきた時に感じた異和感。
それがこの男の持っているものと似ていると感じたアレッシオは、わざと決めつけて訊ねた。それに返してきた反応に、自分の直感
が間違っていなかったことが分かる。
「客の部屋に無断で入るとはどういうつもりだ?」
「それは少し、人聞きが悪いですね」
「・・・・・」
「私は大浴場の使用の時間を確認し忘れていたので、もう一度説明しに戻っただけです。あんな場所で人目も憚らずに行為に
及んでいたくらいだ、見られたい方なんだと思っていましたが」
「・・・・・」
(それが本性か)
人当たりの良さそうな旅館の若主人の顔をして、その実客の中から好みの相手を物色しているだけなのか。
(他のどんな相手をどうしようと構わないが、トモに手を出すことだけは許さない)
「トモに手を出すつもりか」
「高塚様はお客様ですから」
「答えは」
「・・・・・人の思いというものはどうしようもありません」
自信に満ちた有重の言葉に、アレッシオは口元を緩めた。
「トモがお前になびくとでも?」
「可能性はあるでしょう」
「ありえないな」
(私がトモを離すことも、トモが私から離れることもありえない)
「あの、お友達とお2人でしょう?一緒に飲みませんか?」
不意に、この場の雰囲気をまったく無視した声が掛けられる。
振り向くまでもないとアレッシオが完璧に無視をすると、諦めなかったのか女達はアレッシオの身体に手を伸ばし、勝手に腕を絡ま
せてきた。
「私達、新館に泊ってるんですけど」
「離せ」
胸が腕や背中に当たるのが煩わしい。
「え、あの」
「・・・・・」
「きゃっ」
アレッシオが腕を振り払うと、女の身体は簡単に後ろに倒れそうになった。
その身体をとっさに有重が支えたが、アレッシオにとっては振り払った虫がどうなろうとも構わない。
「な、何をするんですかっ」
たかが誘いを掛けたくらいでこんなに乱暴な真似をするのかと思ったのか、女達は気丈にもアレッシオを睨みつけてきた。
本国なら絶対にあるはずのないことに、アレッシオの口元には冷笑が浮かぶ。
(ここにガードがいたら、どんなふうに排除をされるのか楽しみだがな)
「生きてそこに立っているだけ幸運だと思え」
「・・・・・っ!」
その言葉の中に本気を感じたのか、女達が抱き合って後ずさった。
初めからそんな風に大人しくしていればいいのに余計な真似をする方が悪いと、アレッシオはまだ挑戦的に自分を見る有重を見
据えた。
すると、
「ケイ?どうしたんですか?」
何よりも大切な声が聞こえてくる。
その途端目の前の男から一切の興味が消えたアレッシオは、頬に笑みを湛えて振り向きながら何もないと穏やかな声で答えた。
人だかりの中に突き出た2つの頭。
それがアレッシオと有重だというのは直ぐに分かったが、どことなく緊迫した雰囲気に友春は何があったのだろうと不安になった。
自分に対してはどこまでも優しい男のアレッシオが、それ以外の人間に対しては怖いほどに冷たいという様子はこれまでも何度も
見てきた。
ここにはアレッシオの存在を脅かすような人間はいなかったはずだが、何か彼が機嫌を損なうことがあったのだろうか。
(も、もしかしたら僕に怒っているのかも・・・・・?)
「ケイ?どうしたんですか?」
人の輪から少し離れた場所から恐る恐る声を掛けると、ざわっと空気が揺れて人垣が二つに割れた。
その向こうから現れたアレッシオは、穏やかな笑みを向けてくれる。
「何も無い」
「・・・・・本当に?」
「トモが傍から居なくなって寂しくなっただけだ」
そんなことがあるはずが無いと、友春は強張った笑みを浮かべながら思ってた。
アレッシオの傍にいたはずの有重は硬い表情をしているし、なぜか2人ほどいた若い女性も青褪めた顔色でこちらを、いや、アレッ
シオを見ている。
「・・・・・」
「トモ」
友春の視線が自分から逸らされていることが分かったのか、アレッシオは再び名前を呼んできた。
「あ・・・・・あの、ワイン・・・・・」
思わず手に持っていたものをアレッシオに差し出すと、彼は色を見、香りを嗅いで頷く。
「いい物を選んでいるようだ」
「・・・・・ありがとうございます」
有重は頭を下げてそう言うと、友春に向き直った。
「女将には会われましたか?」
「い、いえ、まだです」
「では、私も一緒に捜しましょう」
「え?」
若旦那でもある有重はこのレセプションパーティーでも忙しい立場のはずで、1人の、それもたいして重要でも無い客にずっと付い
ていることなど出来ないはずだ。
「あ、あの、大丈夫ですから」
友春は遠慮をしてそう言うが、有重は直ぐには引いてくれなかった。
「遠慮などしないでください」
「・・・・・ケイ」
どうしたらいいのだろうと思わずアレッシオを振り返ると、彼はなぜかにやりと笑って友春の肩を抱き寄せる。とっさにその手を避けよ
うとした友春だったが、アレッシオは逃がしてくれなかった。
「トモ、彼に協力してもらおう」
「・・・・・いいんですか?」
有重に対してあまり良い感情を抱いているようには見えないのに、どうしてそんな風に言うのだろう。
友春は不安な思いを抱きながら、端正な顔をただ見つめていることしか出来なかった。
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