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静は腕時計を見ると、慌てて階段を駆け下りていた。
「申し訳ありません、静さん。急に海外から大切な取引相手がやってくるという連絡です。車は用意しますので、先に日向の
家に行ってもらえるでしょうか?」
楓の家へ遊びに行くという当日。
今朝、朝も早くから江坂の携帯が鳴ったかと思うと、電話を切るなり申し訳なさそうな顔をして江坂は言った。
もちろん、江坂には仕事を優先して欲しいし、子供ではないのだから1人で出掛けることも出来る。
それに、ちょうど先程太朗から連絡があり、真琴が車を出してくれるが一緒に乗って行かないかと言われた。
まだ今回で会うのは二度目の相手に図々しいかとも思ったが、江坂の手を煩わすよりはいいかと直ぐに頷き、江坂にもその旨を
伝えた。
江坂も1人で向かわせるよりもいいかと思ってくれたのか了承してくれ、その結果、真琴は先に静の大学へ来て、それから太朗
を迎えに行くという段取りになった
「遅くなったっ」
思い掛けなく教授に呼び止められて課題の話をされたので、教室を出たのが少し遅くなった。
迎えに来てもらうのだからと少し早めに待っていようと思っていた静は、時間を気にしてかなり急いで校舎を出ようとした。
その時、
「あっ!」
「わっ!」
丁度柱の影で見えなかったのだが向こうからも人が来ていたようで、静はその相手にぶつかってしまった。
お互い倒れることは無かったが、意識しないでぶつかっただけに頭が痛い。
「ご、ごめんっ・・・・・あ、高塚(たかつか)さん?」
自分の方が悪いととっさに謝りかけた静は、自分と同じ様に額の辺りを押さえている相手を見て思わずその名を言った。
「小早川君・・・・・ごめん、ぼうっとしてて」
高塚友春(たかつか ともはる)は同じ大学の同級生だ。
歳だけで言えば1歳上だが、数ヶ月間留学していた友春はもう一度2年生をやることになったらしい。
以前は静もその名前と顔を知ることは無かったが、春から同じ講義を取り、席も隣になった事もあって少し話をするようになった。
派手ではないが繊細な容貌の友春には静の他にも話し掛けようとする者が多くいたが、大人しいらしい友春はあまり自己主
張の激しい相手とは合わない様で、その点天然ボケでどこか抜けている自分には好感を持ってくれているらしい。
自然と校内で会った時は一緒に行動することも多くなり、静は変な意味で友春に近付いてこようとする相手を排除しているが、
その中には明らかに自分目当ての人間も多いということを鈍感な静は気付いていない。
共に綺麗だといってもいい容姿の2人が並んでいると、それだけで目立っているのだ。
「帰り?」
「はい。高塚さんは?」
「・・・・・帰らなくちゃいけないんだけど・・・・・」
どこか途方に暮れたような友春の表情に、静はそのまま立ち去ることが出来なくなった。
友春は、実家が呉服屋をしている大学生だった。
去年の初冬、母親の知り合いの華道家のパーティーに手伝いに行った時、そこでアレッシオ・ケイ・カッサーノという男と出会ってし
まった。
いや、どうやらそれは初めから仕組まれたらしいというのは随分と後になって知ったのだが、友春は初対面のその男にいきなりレイ
プされ、そのまま男の故郷であるイタリアまで連れて行かれた。
只者ではない雰囲気を持っていた男は、表の顔は莫大な財力を持つ企業家であったが、裏の顔はカッサーノ家というイタリアマ
フィアの一族の首領だった。
なぜか友春を気に入ったらしいアレッシオはかなり強引なアプローチを仕掛けてきたが、始まりが始まりだけに友春はなかなか気
を許すことが出来ず、結局アレッシオは友春の意思を尊重して日本へ帰ることを承諾してくれた。
しかし、それでアレッシオの友春への執着がなくなったというわけではなく、むしろ以前よりも情熱的になって、頻繁に日本へも来
るようになっていた。
「・・・・・ちょっと、家には帰りたくない気分なんだ」
「何かあったんですか?」
「家には、何も無いけど・・・・・」
イタリアに強引に攫われて休学の形を取っていた大学へは、もう一度2年から始めることになって通い始めた。
それはもう諦めていたので仕方が無いが、なぜだか以前よりも周りにうっとおしく人が近付いてくるようになって、静かな環境を好む
友春は辟易していた。
男に抱かれた友春のフェロモンに惹かれているなどとアレッシオはバカバカしいことを言っていたが、今の状況ではそれさえも信じて
しまいそうだ。
ただ、同じ講義を取っている静だけは綺麗な顔をしている割にはどこか抜けていて親しみやすく、校内で見掛けたら友春の方か
ら声を掛けるようになっていた。
「小早川君は帰るんだ?」
「はい、ちょっと待ち合わせしてて・・・・・」
「・・・・・そう」
(じゃあ、付き合ってもらうのも悪いな・・・・・)
友春はこれからどうしようかと、大きな溜め息を付いてしまった。
「あ!静さん!」
校門から少し離れた所で静が出てくるのを待っていた真琴は、ようやく待ち望んだ姿を見付けて思わず声を出してしまった。
しかし、校門から出てきたのは静だけではなく、彼はもう1人の見知らぬ大人しそうな青年と一緒だった。
「ごめん、待たせちゃって」
同い年ということもあって、真琴と静は互いに敬語は止めようと電話でも話した。
ただ、ごく普通の家庭で育ってきた真琴にとって静は時折浮世離れした感じもして、やはりつい言葉は丁寧になってしまうのだ。
「お友達ですか?」
真琴がそう言うと、静の隣にいた青年は少し隠れるように静の背中に移動する。
怖がっているというよりも様子を見ているというその態度が小動物のようで、真琴は思わず苦笑を浮かべてしまった。
「こんにちは」
「・・・・・こんにちは」
「え〜と、真琴君、この人は・・・・・」
「小早川君、僕帰るよ」
静が何かを言う前に立ち去ろうとした友春だったが。
「やだあ!可愛い子発見!」
「・・・・・っ」
「綾辻さん」
初めて見る友春の姿に、車で待機していたはずの綾辻が出てきた。
見るからに真琴に害をなす者ではないとは分かるのだろうが、それでも初見の人間の身元はきちんと把握しておかなければならな
いのかもしれない。
「今時の男の子はみんなきれーねー」
「綾辻さんはカッコいいですよ」
「ふふ、本当の事を言うもんじゃないのよ、ね?」
いきなり綾辻にずいっと顔を寄せられ、友春は驚いたように目を見張っている。
綾辻と初対面の相手は大抵こんな態度を取るのだ。
(見掛けはカッコいいのに、話し方がこれだもん)
ただ、このオネエ言葉は相手の緊張を解す役割もするという証拠に、友春の頑なだった雰囲気も少し和らいだ感じがした。
「真琴君、高塚さんも少し一緒にいていいかな」
「小早川君っ?ぼ、僕はこれで・・・・・っ」
「だって、帰りたくないんでしょ?そんなに顔色悪いまま帰せないし、あ、高塚さんの分は俺が払うし」
「小早川君!」
「あ〜、でも、楓君のお宅に伺うんだから・・・・・楓君の了承取った方がいいかな?」
「なになに、楽しそうな話じゃない」
綾辻が取りまとめようとするように前に出てくる。
ここは年長者である彼に任せた方がいいかと、真琴は静に説明を促した。
「わっ、えっ、だれっ?綺麗!あ、俺、苑江太朗です!こんにちは!!」
「こ、こんにちは」
自宅前で大きなカバンを抱えて真琴の迎えを待っていた太朗は、止まった車の後部座席を自ら開くと同時に叫んだ。
運転席には綾辻、助手席には真琴、そして後部座席の静へと視線が移り、太朗はそのまま見知らぬ相手を見て言ったのだ。
疑問と同時に言葉が出たらしい太朗に、真琴が笑いながら言った。
「静さんの友達なんだよ。丁度時間が空いてるらしくって誘ったんだ。楓君に連絡したら1人2人増えても変わらないって言ってた
し」
「静さんの?」
興味があることを隠さない太朗の視線や言葉は、特別な意味などはなく本当に子供のような好奇心からだと分かる。
だからか、友春も割合と素直に口を開いた。
「高塚友春です。今日はせっかくの集まりに邪魔してごめん」
「全然いいですよ!ご飯って大勢で食べた方が絶対に美味しいし!ね、真琴さん」
「うん。高塚さんも遠慮しないで下さいね」
俺の家じゃないけどと苦笑しながら続ける真琴に頷きながら、太朗は後部座席、静の隣に座った。
元々あまり人見知りをしない太朗は友春の存在をあっさりと受け入れる。むしろ、綺麗な人は見ているだけでも楽しいので(しか
し、熊さんタイプはもっと好きだが)大歓迎だ。
「太朗君荷物すごいね〜。何が入ってるの?」
「楓が食べたいって言ってた新作お菓子ですよ!意外と伊崎さん厳しいらしくって、あんまりお菓子買えないから差し入れしろっ
てメール来て」
「あ、じゃあ、コンビニ寄って行こうか?」
「そっか、人数増えたし、もっと調達した方がいいかな」
そして、太朗は運転している綾辻へと視線を向けた。
「今日はわざわざ迎えに来てくれてありがとうございますっ、あ、え〜と・・・・・」
(やば・・・・・名前、何だっけ?)
顔はバッチリ覚えているし、強烈な性格も十分印象的だが、改めて名前を言おうとすると度忘れしてしまった。
(あや、あや・・・・・えっと・・・・・)
「あや、とりさん・・・・・じゃ、ないですよ・・・・・ね?」
自分でもまさかなと思ったが、確かこんな名前だったはずと言った太朗。
次の瞬間真琴と静はぷっとふき出し、間違われた当人の綾辻もあははと大声で笑い始めた。
「ま、真琴さん?」
その反応で違うというのは十分分かったが、ならば正解はと太朗は焦って真琴を見つめる。
しかし、答えようとした真琴を綾辻は止めて、バックミラー越しにウインクしながら言った。
「それ、すっごく可愛いじゃない。今日の私はあやとりでいいわよ」
「で、でもっ」
「みんなよろしく〜」
車の中は更に笑い声で包まれてしまい、その雰囲気につられて友春も笑みを浮かべたので、太朗はま、いっかと自分も笑い出し
てしまった。
その頃。
「申し訳ありません、小田切さん。わざわざ迎えに来ていただいて」
「いいえ、うちの上杉の我が儘で場所を決定したんですからこれくらい」
にこやかに笑いながら運転する羽生会監査、小田切裕(おだぎり ゆたか)に向かって助手席で頭を下げながら、開成会幹部、
倉橋克己(くらはし かつみ)は何時の間にかいなくなっていた同じく幹部である綾辻勇蔵(綾辻ゆうぞう)を心の中で罵倒してい
た。
(そんなに自分が呼ばれなかったことに拗ねているのか、あの男はっ!)
今回は店での酒宴ではなく日向家への訪問になるので、出来るだけ少人数がいいだろうと判断した倉橋は、多分一緒になっ
て飲みそうな綾辻よりは自分の方が適任だろうと思った。
飲む事は出来ないが雑用には手を貸せるだろうし、丁度いい頃に場を切り上げることも出来るだろう。
そう伝えた当初は綾辻は随分拗ねてしまい、自分を連れて行けと散々ごねていたのだが、ここ数日はピタリとそんな事は言わな
くなった。
ようやく納得してくれたのかと安堵していた倉橋だったが、当日日向家への送迎を頼もうとした時綾辻の姿は無く、携帯で連絡を
とっても出ない。
仕方なく別の者に頼もうとした時、丁度小田切から電話があって拾ってくれると申し出てもらったのだ。
(ありがたいんだが・・・・・)
小田切が苦手な倉橋は、どうしても浮かべる笑みが強張ってしまう。
そんな気持ちを誤魔化そうと、倉橋は後ろの座席に座っている海藤を振り返った。
「社長、真琴さんに連絡は・・・・・」
「今日はあいつも友人と約束があるそうだ」
「そうですか」
「なんだ、海藤、浮気じゃないか?」
あっさりと応えた倉橋の上司である開成会会長の海藤に、楽しそうに声を掛ける羽生会会長の上杉。
からかっているのは分かるが、事が事だけに倉橋の眉間には自然と皴がよる。
「そんな心配していませんよ」
「余裕じゃねえか。俺なんかタロの首に首輪つけてやりたいくらい心配なんだがな」
「きっと暴れて抵抗しますね、あの子なら」
「元気がいい子犬も可愛いもんだぜ」
(何を話してるんだこの人は)
いきなり自分の恋人である少年(まだ高校2年生だ)の事を楽しそうに話し始めた上杉に内心呆れるが、自分の上司の呆れる
話を聞いても小田切は一切気にしていないようで、相変わらずの食えない笑みを浮かべながら倉橋に言った。
「私達も存分に楽しみましょうね、倉橋さん」
「は、はあ」
どう答えていいのか分からず、倉橋はただ反射的に頷いていた。
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まだ全員出てません(笑)。
トモ君の登場、どうでしたか、やっぱりちょっと無理矢理っぽかったかな・・・・・。