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日向組の母屋は慌しく今日の宴席の用意がされていた。
今までも海藤と上杉が訪ねてくることはあったが、それはあくまでも遊びの延長としてであった。
しかし、今回は楓の、ひいては日向組の為に色々と大東組などに働きかけてくれた礼として設けた席なので、少しの手抜かり
も許されなかった。
「早くしろ!もう30分もないぞ!」
様子を見に座敷にやってきた日向組の組長であり、楓の兄である雅行はそう言い放った後、ふと気付いたように側にいた伊
崎を振り返った。
「楓はどうした?今日は抜け出したりしていないだろうな」
「先程部屋に様子を見に行った時はおられました。津山もしっかりと見張っていますし」
少し前まではまるで機械と評されていたように感情の乏しかった津山も、楓に付くようになってからはかなり人間らしくなっている。
伊崎にとってはあまり面白くない話だが、津山が楓を想っているのは確かだったし、楓も伊崎とは違う感情を津山に抱いている
ことも確かだった。
だからこそ、津山も多少楓に対しては甘いのだが、それを雅行に伝えてしまうと楓の世話係を交代しかねない。
津山の感情は必ずしも伊崎にとってはプラスではないが、だからこそ津山は命を張って楓を守ってくれるだろうという事は確信し
ている。
若頭という立場になってからあまり楓の側にいられない伊崎にとって、楓を無条件で守ってくれる者はいてくれた方が安心だった。
(それにしても、あれだけ嫌がってた割には今日は大人しいし・・・・・何を考えてるんだ?)
「あ」
伊崎がそんなことを考えているとは少しも思いつかない楓は、急に鳴ったメールの着信音に顔を上げた。
「・・・・・よし」
短いメールは、《着いた!》というたった一行だ。
太朗らしいと笑いながら部屋を出た楓は、直ぐに近付いてきた津山に止められた。
「どちらへ行かれるんですか?お客様はもう間もなく着かれますが」
「外へ行くわけじゃないって」
「どちらへ?」
「・・・・・裏門。津山も来ていいよ」
「・・・・・」
裏門へ何をしに行くのかと訊ねてはこなかったが、明らかに不審な表情をしている津山に、楓はそれ以上説明することなく早足
で外へ向かう。
古臭いが敷地だけは広い家。
何時もはヤクザの組らしからぬほどに和やかな雰囲気なのだが、今日はさすがに大切な客が来るという事で皆緊張して警備を
していた。
「坊っちゃん、どちらへ?」
「ちょっと」
「坊っちゃん、外へ行かれるんですか?」
「行かないって」
人も羨むような美貌を誇る楓が、顔に似合わず無鉄砲だと知っている組員達は、口々に声を掛けてくる。
何時もはいい加減にしろと怒鳴っているところだが、楓はこれからの楽しい時間を考えると笑みが消えないままだ。
足取りも軽く前を行く楓を津山が訝しげに見ているが少しも気付かず、やがて楓は裏門までやってきた。
「・・・・・」
丁度、裏門は開いていて、今日の宴会の物か酒が運ばれてきている。
運んでいるのは日向組の組員で、それを見知らぬ男が手伝いながら指示を出していた。
(・・・・・なんだ、人相悪いな)
40前後の身体の大きな男は、目じりに深い傷がある。容貌自体はそれ程悪いものではないのだろうが、その傷と目付きの鋭
さがかなり人相を悪くしているように見えた。
「・・・・・」
視線を感じたのか、男は楓の方を振り返って僅かに目を見張った。
さすがに楓の顔は知っているらしい。
「今日はうちの会長がお世話になります」
「・・・・・どこのモン?」
「羽生会の楢崎(ならざき)といいます」
「楢崎?」
「楢崎さんっ、これで最後みたいだよ!」
その時、明るい声で声を掛けながら1人の少年が外から顔を覗かせた。
「わ・・・・・」
(すっごい綺麗な子・・・・・!)
日野暁生(ひの あきお)は目の前にいる少年を見て目を見張った。
一見美少女のようにも見えるが、その強い目の光を見るとただの少女ではないと分かる。
いや、着ている服や平らな胸を見ればそれが少年らしいという事は分かるのだが、それでも暁生はこれ程の美貌の主を見たこと
はなかった。
(小田切さん以上に綺麗な人なんていないと思ってたけど・・・・・いるんだ)
18歳のフリーターである暁生は、夜の街で襲われかかった所を羽生会の幹部、楢崎久司(ならざき ひさし)に助けられた。
始めは楢崎のように強くなりたくて付きまとっていたが、やがて強面ながらとても優しい楢崎に惹かれ、今では父親ほども年齢の
違う楢崎と恋人同士という関係になっている。
ただし、まだ最後までは抱かれていないが。
「・・・・・あ、あの」
「暁生、こちらは日向組の坊っちゃんだ」
「あっ、こっ、こんにちは!日野暁生です!」
今日は、本来ならば休みのはずの楢崎とのんびりと休日を過ごすはずだった。
しかし、急に小田切から連絡が入り、今日の酒宴の差し入れを運ぶはずだった組員が急に盲腸になって救急車で運ばれてし
またので、その代わりをと言われたのだ。
幾ら差し入れとはいえ、他の組に出入りするのはやはり信頼のおける人物でなくてはと、白羽の矢が当たった楢崎は直ぐに動き
始めた。
一緒にいた暁生には、それ程時間は掛からないから待っているようにと言ってくれたのだが、せっかくの休みの時間少しでも一緒
にいたいと思った暁生は、自分も手伝うと強引についてきたのだ。
「この子も組員?」
自分とあまり違わない年齢らしいその少年は、少しも楢崎に臆することなく聞いてくる。
人の上に立つ人間は違うなあと感心していた暁生とは違い、楢崎はあまり暁生をこの世界とは関わらせたくないのか少し言葉
を濁した。
「・・・・・知り合いの子です」
「ただの知り合いの子供を連れてきたのか?」
「・・・・・」
「楓さん」
少年の後ろに立っていた男が何か言いかけた時、外で車が止まる音がした。
「・・・・・!」
反射的に楢崎は暁生を背中に庇い、少年も後ろの男に庇われている。
しかし、
「楓〜〜!!着いたぞ!」
「タロッ!」
その場にそぐわない元気な声を聞いて、少年は男の手を振り払って外に飛び出した。
「あれ?車が止まってる」
楓にメールを送って数分後、日向邸の裏門が見えてきた時、太朗は窓から身を乗り出すようにして言った。
「太朗君、あんまり身を乗り出すと危ないよ?」
真琴の言葉にいったんは素直にシートに座り直した太朗だが、それでも気になって顔だけを窓の外から出してしまう。
その子供っぽい様子に、真琴や綾辻だけではなく、静も友春も笑ってしまった。
「・・・・・ああ、あれは羽生会の楢崎さんじゃない?差し入れでも持ってきたのかしら」
丁度裏口から出てきた男の姿を見て、綾辻がやっとわかったというように言った。それに太朗も視線を向けると、確かに見たこと
がある顔だった。
「ジローさんめ、また人使って!自分で持ってきたらいいのに〜」
「ふふ」
その量が半端ではないのだろうという事を知っている綾辻は笑うが、そんなことが全く思い浮かばない(自分が飲まないので全
くわからないのだ)太朗は、人使いが荒いと上杉を怒っている。
「ユウさん、出てもいいっ?」
「いいわよ」
許可をもらった太朗は車が止まったと同時に外に飛び出すと、大きな声で楓を呼んだ。
「楓〜〜!!着いたぞ!」
すると、直ぐに楓の声が聞こえた。
「タロッ!」
手筈通りに裏門で待っていてくれたらしい楓は直ぐに姿を現した。
「時間通りだな」
「あったりまえ!な、まだ気付かれていない?」
「俺がそんなヘマするかよ」
自慢げに楓が言っていると、その後ろから姿を現せた楢崎が太朗を見て言った。
「どうしたんですか?会長と待ち合わせを?」
「へへ、まあ、それは内緒で」
にこにこ笑って誤魔化したつもりの太朗だが、それが少しも秘密になっていないという事に気がついていない。
それよりも楢崎の背中に隠れるようにして自分を見ている少年に興味を惹かれて視線を向けた。
「・・・・・え〜と、時々事務所に来てますよね?」
「こ、こんにちは」
時折事務所に遊びに行くと、明らかに他の組員達とは毛色の違う少年がいることを太朗も気がついていた。
上杉に聞くと、笑いながら、
「あれは楢崎の子犬だ」
としか言ってくれず、その例えの意味を考える前に挫折してしまった太朗。顔を合わせるのも本当に稀だったので何時しかあまり
気にしなくなったが、こうして改めて見るとやはり自分とそう歳は変わらず、ヤクザの見習いにも見えないような普通の感じだ。
「楢崎さんのお手伝いですか?」
「は、え、あ、お、お手伝い、です」
何と答えていいのか途惑っている暁生を見かねたのか、楢崎が穏やかに話しに割って入った。
「荷物を置いたら直ぐに失礼しますよ」
「え〜っ、せっかくここまで来たのに帰っちゃうんですか?ついでにご飯食べちゃったらいいのに・・・・・なあ、楓」
「いいよ、もう何人でも」
楓としたら、今日は何より上杉を驚かせるのが第一の目的で、後は太朗や真琴が一緒だったら楽しいだろうと単純に考えるだ
けだ。
初対面の人間と会う機会も多い楓は人見知りをすることは無い(内心どんなに不機嫌でも隠す術を知っている)ので、1人2
人増えても気にしなかった。
「真琴さんっ、いいですよね?」
「大勢の方が楽しいよ。あの、良かったらどうですか?」
続いて車から降りてきた真琴もそう言い、後部座席の2人も出てきて頭を下げる。
そして、最後に運転席から下りてきた綾辻は、本当に楽しそうな声で楢崎を呼んだ。
「お久し振り〜、ナラさん」
「・・・・・綾辻、お前・・・・・」
楢崎の途惑いが手に取るように分かり、綾辻は思わず笑みを零した。
「私は会長の大事な人の運転手。でも、ナラさんも可愛い子連れてるじゃない。小田切さんがナラさんが子犬を飼い始めたら
しいって言ってたけど・・・・・ふふ、なるほどね」
「俺は・・・・・」
「ここまできて、タロ君に捕まっちゃったんだから諦めた方がいいですよ?ねえ、君・・・・・アキオ君、アキちゃんね?どう、少し付き
合ってくれない?」
「・・・・・」
暁生と呼ばれた少年は、どうしたらいいのかと楢崎を振り返っている。その様子は本当に飼い主に伺いを立てているようで微笑
ましかった。
年恰好はここにいる真琴達とはそう変わらないようで話は合うだろうし、綾辻個人としては普段は武闘派と言われている楢崎を
からかいたい気持ちが大きかった。
「ね、おいでよ」
太朗が笑いながら言う。
太朗本人は自覚はないだろうが、自分の組の親分である上杉の愛人である太朗にそう言われて、部下の楢崎が頑強に拒否
することは出来ない。
楢崎は溜め息をついて暁生を見下ろした。
「・・・・・少しだけお付き合いするか」
「楢崎さん」
「お世話になります」
楓に向かって頭を下げた楢崎を見習って暁生も慌てて頭を下げる。
続いて携帯を取り出した楢崎に、悪い予感がしたのか太朗が慌てて言った。
「ど、どこ掛けるんですかっ?」
「会長に今のことを報告するんですが?」
「だ、駄目!ジローさんには内緒だから!!」
「・・・・・内緒?」
当然、太朗達の魂胆を知らない楢崎は困惑したように眉を顰め、理由を説明しろと、この中で一番責めやすい綾辻に鋭い視
線を向けてきた。
それに苦笑を返す綾辻は、どこまで説明しようかと考える。
(タロ君の悪戯・・・・・成功すると面白いんだけど)
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これで受けちゃんは全員出て来ましたね。
次回は、何も知らずに日向家に来た海藤さんとジローさんの反応です。