車が止まった途端、古めかしい木の門が開かれてずらりと並んだ男達がいっせいに頭を下げる。
車の中からその様子を見た上杉は思わずといったように笑みを零した。
 「古き良き時代って感じだな、ここは」
 ドアを開かれて外に出ると、門の前に立っていた日向組組長の雅行が深く頭を下げた。
 「ようこそいらっしゃいました」
 「おう、また邪魔するぞ」
 「生憎、父は風邪をひきまして、ご迷惑にならないように今回は失礼させて頂いています。ご挨拶出来ないことをくれぐれもお
詫びするようにと」
 「なんだ、オヤジには会えないのか。俺達のことは気にしないように伝えてくれ、なあ、海藤」
 「ええ。大事にしてやってくれ」
 「ありがとうございます」
 最近はヤクザの事務所もビルの中にあるのが普通だが、この日向組は代々自宅を事務所としていて、独身の組員も同居と
いう昔ながらの任侠といった感じだった。
建物は古いが広く、敷地も十分だからこそ出来る事だろうが、上杉も海藤もこの懐かしい雰囲気のする組を訪れるとほっと安
堵するといった感じだ。
 「このたびは大変お世話になりました」
 雅行の隣に立っていた伊崎も、改めて2人に対して礼を述べた。
 「大東組からも何の咎めもありませんでしたし、全てお2人方の尽力のおかげです」
 「礼はそれぐらいでいいって。今日は姫さんはいるのか?」
 「ええ、今回はあいつのことで色々お世話になったんですから、自分の口でちゃんと礼を言わせます」
 それに答えたのは雅行だ。
あくまで楓の意志ではないというのがあからさまに分かるが、上杉も海藤もそんなことは全く気にしない。
上杉などは、かえって楓がどんな顔をするのか楽しみだった。



 母屋に連なって歩いている途中、倉橋と共に後ろを歩いていた小田切が雅行に声を掛けた。
 「日向組長、うちの使いはもう帰ったんでしょうか?」
 「ああ、わざわざ心遣いありがとうございます。酒は運ばせて頂きましたが、来られた方はどうしてか楓が引き止めてしまったらし
くて・・・・・」
 「・・・・・うちのを、ですか?」
小田切は僅かに眉を顰めた。
元々ここに使いに来させるはずだった組員が急病でダウンしてしまい、とっさの代役に幹部である楢崎を選んだ。
本来、幹部クラスをただの差し入れの運び役に使うことなどはありえないことなのだが、今回は場所が日向家という個人宅だと
いう事と、うわべの付き合いではなく、個人的な付き合いもあるという事で、いきなりな使命でもそつなくこなす相手を選んだつも
りだった。
(ここの坊っちゃんが楢崎を・・・・・?)
 時折酒宴にかり出されたり、その容貌の評判からも、楢崎が楓のことを知っているのは分かる。しかし、楓の方が楢崎を知っ
ている可能性はほとんどないはずだ。
それに、強面といっていい楢崎はけしてとっつきやすい雰囲気ではなので(太朗と暁生の美的センスは例外)、わざわざ呼び止
めるとは・・・・・。
 「どうした、小田切」
 小田切の不審な気配を感じ取ったのか、上杉が立ち止まって振り向いた。
 「使いは誰を寄越した?」
 「・・・・・楢崎です」
 「ナラ?」
その名前に、上杉も多少の違和感を覚えたらしい。
 「上杉会長?」
視線を交わす上杉と小田切の様子に、雅行が固い表情で尋ねた。
 「何か不都合でも?」
 「・・・・・いえ、何でもありません」
小田切はにっこりと綺麗に笑うと、後で楢崎の携帯に連絡してみようと思った。



 広い玄関に入り、古いが磨きぬかれた廊下を歩く。
海藤はふと真琴のことを考えた。
(連れて来てやったら喜んだだろうが・・・・・)
日向組の次男坊である楓と、上杉の恋人である太朗。2人と仲の良い真琴は頻繁にメールや電話のやり取りをしている。
多分、今日も連れて来てやったら喜んだだろうが、今回は仕事上の絡みもあるので真琴には楓の家に来ることは言わなかった。
幸いに真琴も今日は友人と会うらしく、帰宅も遅くなるようだ。
 「どうぞ、こちらに。おい、開けろ」
 以前も通された座敷の前、雅行が声を掛けると中から襖が開かれた。
その瞬間、

 
「おっそーい!!」

 「・・・・・っ!」
 「タロ・・・・・っ?」
目の前に広げられた膳。
その前に、今回招待された自分達よりも先に座っている者達がいた。
 「真琴?」
 「ごめんなさい、海藤さん、驚きました?」
 「・・・・・驚いた」
今日は友人と会うと言って出掛けて行ったはずの真琴がなぜここにいるのか、さすがに海藤も一瞬言葉に詰まってしまった。
しかし、隣に座っている楓と太朗のしてやったりという顔を見ると、直ぐにその思惑に想像がつき、海藤は怒るというよりも笑って
しまった。
(やっぱりこうなるのか)
 真琴を連れて来ないと決めたのは自分なのに、真琴が自分ではない誰かと楽しんで笑っているよりも、こうして側で笑顔を見
ている方がずっといい。
綾辻の姿もそこにあるので、どうやら彼も協力したらしいという事も分かる。綾辻が協力したのならば自分がすっかり騙されても
仕方がないだろう。
 「・・・・・知ってたんですか」
 海藤は隣にいる上杉に聞いた。
珍しく唖然とした表情を見ると、きっと上杉も知らされていなかったのだろう。
 「・・・・・知るか」
 「どうやら日向の・・・・・彼が連絡を取ったようですね」
 「あいつ、俺に何も言いやがらなかった」
 「驚かせたかったんでしょう」
 「・・・・・太朗のくせに」
口ではそう言うものの、上杉の頬にも楽しそうな笑みが浮かんでいる。
結局、堅苦しい酒宴よりも、自分の大切なものが傍にいた方が楽しいということだなと、海藤は少し申し訳なさそうな顔をして
いる真琴に向かって笑みを向けた。



 「タロ・・・・・っ?」
(どうしてここにタロが・・・・・?)
 これ程驚いたのは随分久し振りな気がした上杉だが、満面の笑顔で笑っている太朗の側でほくそ笑んでいる楓を見てそのか
らくりが分かったような気がした。
(ガキの悪さにしちゃ・・・・・いいとこついてるな)
 今回日向家でのもてなしを望んだ上杉だったが、それには自分の想像以上に太朗と仲がいい楓に対しての嫌がらせの意味
も多少あった。
太朗といい雰囲気になった時に限って鳴る楓からの電話。
別に狙っているわけではないだろうが、せっかく蕩けかかった太朗の意識はそれでたちまち元に戻り、上杉がお預けを食ったのは
一度や二度ではない。
同居している海藤や伊崎とは違い、逢瀬の時間を捻出するだけでも大変な上杉にとっての貴重な時間を邪魔する楓に、ここ
は酒の上でという事で絡んでやろうと思っていたのだ。
 その上杉の内心を感じ取ったのかどうか・・・・・楓は太朗を連れて来るという大技をして上杉を驚かせた。
 「どうやら日向の・・・・・彼が連絡を取ったようですね」
 「あいつ、俺に何も言いやがらなかった」
 「驚かせたかったんでしょう」
 「・・・・・太朗のくせに」
その思惑は楓の想像以上に上杉には効いたが、驚いたままで終わる上杉ではない。
 「なんだ、タロ、俺に会いたかったのか?」
 「ジローさん?」
 「そんなに物足りなかったんなら、この間もっと可愛がってやればよかったな」
 「ばっ、なにバカなこと言ってるんだよ!!」
 つい先程までの自慢げな顔から一転、真っ赤になって焦る太朗の顔を満足そうに見ると、上杉は視線を移して憮然とした表
情の楢崎と恐縮している暁生を見た。
 「掴まったのか、ナラ」
 「申し訳ありません」
太朗と楓と綾辻と、この3人に言い負かされてしまったであろう楢崎にも気の毒だが、ここはもう付き合ってもらうしかない。
上杉は楢崎の横にピッタリと寄り添っている暁生にも声を掛けた。
 「アキ、俺のタロだ、仲良くしてやってくれ」
 「ちょっとっ、犬みたいに言うなよ!」
暁生は羽生会会長の上杉に堂々と言い返している太朗を目を丸くして見つめていたが、上杉直々の言葉に慌てて頷くと更に
楢崎の隣にくっ付いた。
(懐いてんな)
その姿は、見知らぬ場所に連れて来られた子犬が必死で飼い主にくっ付いているようで微笑ましく、上杉は目を細めながらその
ままさらに視線を移して、なぜここにいるのか考え付かない1人と、もう1人見知らぬ青年を交互に見ながら口を開いた。
 「江坂さんはご存知なんですか?ここにいること」



(やっぱり、この人達も貫禄あるな)
 静は座敷の中に入ってきた上杉と海藤を見ながらしみじみ思った。
春の花見の時に会ってはいるが、月夜で見た姿と明るい照明の下で見るのとはやはり違う。
上杉という男は野性味の強い男っぽい容貌で、海藤はどちらかというとインテリ風の物静かな美貌の主だった。
どちらとも秀でた容姿の持ち主だと思うが、静にとっての一番はやはり江坂だ。江坂ほどカッコよく優しい人はいないと思う。
 「江坂さんはご存知なんですか?ここにいること」
 不意に上杉の視線が自分に向けられてそう言われ、静はコックリと頷いた。
 「はい、太朗君から誘いの電話をもらった時、一緒にいましたから」
 「タロが?」
 「俺と、江坂さんも一緒にって」
 「・・・・・江坂さんも?」
さすがにそれは想像していなかったのか、上杉が少し驚いたように目を見張った。
いや、上杉だけではなく、その場にいた他の男達もかなりざわめいて驚きを示している。
静はもちろん、太朗や真琴や友春も、江坂がどれだけ地位が高い人間かは知らないので、これ程緊張するのはなぜなのかと
かえって不思議に思ってしまうくらいだった。
 「あ、あの」
 「江坂理事は今どちらに?」
上杉の横にいた海藤が訊ねてくる。
それに向かっても静は素直に答えた。
 「今朝、急に外国からお客様が来ることになったらしくて・・・・・少し遅くなるそうです」
 「あ、私連絡受けましたから」
 それまで楽しそうに一連の様子を見ていた綾辻が手を上げた。
モデルのように華やかなのに女言葉を使う綾辻は明るく楽しくて親しみやすく、静も大人しい友春も車の中でかなり打ち解けて
いた。
そういえばここに着いたと江坂に連絡をした時、綾辻と電話を代わった事を思い出した。
 「かなりビップな客人らしいので、簡単には抜け出せないとの事です」
 「ビップ?誰だ」
 「・・・・・」
 一瞬綾辻は周りに視線を走らせる。
しかし、ここで名前を言っても分からない者の方が多いだろうと判断したのか、海藤と上杉の方を見て答えた。
 「イタリアのカッサーノ家の首領だそうです」
 「カッサーノ?」
海藤の言葉に、
 「ケイ?」
小さな声が重なった。
 「高塚さん?」
呟くように何かを言った友春を静は不思議そうに振り返ったが、その呟きを正確に捉えた上杉と海藤は素早く視線を交わし、改
めてというように友春を見ている。
(なに、今の?)
2人の緊張に静は途惑ってしまった。



(なんだ?ジローさん怖い顔して)
 突然空気が変わってしまったことを太朗も感じて、首を傾げながら上杉と友春を交互に見つめた。
静の恋人の江坂が遅れることになった理由を綾辻が説明した・・・・・表面上はそれだけのことだ。
ただ、それに思いがけず友春が反応し、無意識の内に零れたような言葉に上杉と海藤が反応した。
(ケイ・・・・・って、人の名前だよな?)
 会った当初は緊張していたのか大人しく静かなままだった友春は、自分や真琴、そして綾辻がしきりに話し掛けていくうちにだ
いぶ緊張も解れた様子で、先程までは時折笑みも浮かべるようになっていた。
しかし、今の綾辻の言葉を聞いた途端、顔が強張ってしまった感じがする。
 「どうしたんですか?高塚さん?」
 「あ、あの・・・・・」
 「ケイッて、名前ですか?」
 疑問のままそれを口にすると、友春はますます緊張したかのように身体を硬くしてしまった。
 「・・・・・」
(俺、まずいこと言ったっけ?)
どうしよう・・・・・そう思った時に太朗が一番頼れるのは上杉だった。
 「ジローさん」
太朗は上杉を仰ぎ見る。
すると、情けないその太朗の顔をチラッと見た上杉は、本当に参ったという様に深い溜め息をついた。
 「タロ・・・・・お前本当に大物食いだな」
 「・・・・・はあ?」
(何大きな物食べたって言うんだよ?)





                                  





やっと、アレッシオを出せる下準備が出来ました。

次回、アレッシオと江坂さん登場。タロの反応に注目です。





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