『』の中はイタリア語です。





 アレッシオは眉を顰めたまま手の中の携帯を見つめた。
 『・・・・・いかがされました?』
 『いや、何も』
アレッシオ・ケイ・カッサーノ・・・・・イタリアの富豪でもあり、イタリアマフィア、カッサーノ家の首領でもある彼は、前首領の父と日
本人の母の間に生まれた言わば愛人の子であったが、父の正妻が失脚した後、正式な跡継ぎとしてカッサーノ家に迎えられ
た。
 そんなアレッシオが、日本人の男子大学生、高塚友春を見初めたのは偶然だった。
強引に自分のものにし、一度手に入れたものを手放すことなど考えられず、そのままイタリアに攫ったが、友春はアレッシオの想
像よりはるかに頑なで、何時まで経っても心を明け渡すことがなかった。
何時しか友春の身体だけではなく、心も自分のものにしたくなったアレッシオは、友春の願いをきいてやって日本に帰した。
 もちろん、そのまま手離す気など毛頭なく、友春には彼に分からないようにガードを付けているし、先日の来日で友春の揺れ
る心を悟ったので多少強引に口説き続けているのだが・・・・・。
(どこにいる?トモ・・・・・)
 春以来なかなか日本に来ることが出来なかったが、ようやく仕事も込みだが予定がたった。
アレッシオは友春を驚かせようとイタリアを立つ直前にメールを入れたのだが、友春からの返事はいっこうにない。
態度の軟化で、電話やメールには応じるようになった友春のその態度が解せず、何度か飛行機の中からも連絡を入れてみた
が(自家用ジェットなので自由だ)、なかなか連絡がつかない。
友春に付けているはずのガードからも連絡はない。
気流も荒れて出発も到着も遅れてしまい、アレッシオの気分は底辺まで落ちてしまっていた。



(愛人と連絡がつかないというところか・・・・・)
 江坂は憮然とした表情のアレッシオの横顔を見ながら、都内に向かう車の中で自分も内心溜め息を付きたくなるのを我慢し
ていた。
本来今日は静と共に日向家へ行くことになっていたが、今朝の本部からの電話で計画が崩れた。
イタリアの有力マフィアであるカッサーノ家の担当である江坂だが、今回の来日のことは一切聞いていなかった。いや、来日する
ことはメールで知っていたが、それは来月のはずだった。
 ただ、相手が前倒しで来ることにしたようで、その日付変更の知らせを江坂に直接ではなく大東組の方へ連絡をしたらしい。
その連絡が行き違ったようで、当日になって江坂に知らせてきたのだ。
(私が東京にいなかったらどうする気だったんだ)
 かなりバタバタしてしまったが、幸いにも飛行機の到着も遅れていて、その間江坂は全ての準備を・・・・・車や宿泊場所も全
て手筈を整え、無事にアレッシオを出迎えることが出来たが。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 到着したアレッシオの機嫌は、かなり悪いようだった。
飛行機が遅れたという事もあるかもしれないが、しきりに携帯を見ている事から江坂には大体の想像がついた。
春の来日の時に会った大人しそうな青年。かなりアレッシオが心を傾けている様子は察せられたが、きっとあの青年と連絡が取
れないのだろう。
 『どちらへ向かいますか?』
大東組との会談は明日なので、本来はこのまま食事に連れて行くかホテルに行くかなのだろうが、どちらにしても時間がまだ早
いような感じはする。
(連絡を取っておくか)
 このままではなかなか解放されないだろう。
とても日向家へ行く時間はないだろうし、静に言って早めにマンションに帰るように伝えておこうと思った。
上杉や小田切は面白がって引き止めるかもしれないが、海藤ならばきちんと静を送る手筈は整えてくれるだろう。
 アレッシオに断って電話を掛けようと思うと、彼にも電話が掛かってきたらしい。
丁度いいと思った江坂が携帯を取り出した時、タイミングよく着信が入った。
 「・・・・・」
画面に映る字を見て、江坂の頬には笑みが浮かんだ。
 「静さん?」
 【お仕事中、ごめんなさい。日向君の家に着いたので連絡をしようと思って】
 「無事に着きましたか」
律儀な静に思わず笑った。
 「私はもしかしたら行けないかも知れませんが、あなたは楽しんでらっしゃい」
 【・・・・・来られないんですか?】
 「ええ。・・・・・ああ、そこに綾辻がいますね、代わってもらえますか?」
 残念そうに言う静は、それでも直ぐに綾辻に電話を代わった。
 【代わりました】
 「今、カッサーノ家の首領の接待中だ。静は9時には帰す様にしてくれ。もちろん、きちんとマンションのドアの前までだ」
たった今静と話していたのとはまるで別人のように硬く平坦な声。その命令口調に、綾辻は直ぐに了承した。
 【分かりました。ああ、彼友達を1人連れて来てますけど、彼もそれぐらいに帰した方がいいですか?】
 「友達?誰だ」
静が自分も初めて行く場所に連れて行く友達など想像がつかなくて、江坂は少し怪訝そうに聞き返した。
 【高塚友春君です】
 「・・・・・高塚?」
 思い掛けない名前に江坂が思わずアレッシオを振り返った時、丁度アレッシオも訝しげに口を開いている。
 『ヒーガ?どこだ、そこは』
 「・・・・・」
 【江坂理事?】
 「・・・・・」
(いったいどういう事なんだ?)



 真琴は俯いている友春にジュースの入ったコップを渡した。
 「どうぞ」
 「あ、ありがとう」
綾辻の話から少し態度を硬化させたような友春とどう対峙していいのか迷っていたが、せっかくの集まりなので出来れば友春に
も楽しんでもらいたかった。
 「あの、ここにいる人達、みんないい人だから。何かあったとしても、海藤さんも上杉さんも、ああ見えて綾辻さんも強いんです
よ。一発で撃退しちゃいます」
 「撃退・・・・・」
 「ですよね、綾辻さん」
真琴は近くにいた綾辻を振り返った。
綾辻も自分の言葉が友春の気持ちをふさぎ込ませてしまったのに気付いているらしく、何時もよりハイテンションな口調で友春
に笑いかけた。
 「任せて〜!私のお色気攻撃で一発KOよ!」
 「・・・・・」
派手にウインクして身体をしならせる綾辻に、友春はプッとふき出した。
 「ほら、トモちゃん、食べて食べて!あ、お酒も大丈夫?」
 「あ、あんまり飲まないから」
 「でも、20歳過ぎてるのよね?よ〜し、いっちゃお!タロ君!!ビール持ってきて〜!」
 「は〜い!」
 「綾辻、タロを使うな」
 「いいじゃないですか、若い子にはどんどん動いてもらわなくっちゃ!」
 少しずつ、空気が変わる。
綾辻が盛り上げ、上杉がそれに乗り、太朗が飛び跳ねるように座敷の中を行き来する。
友春の表情が少し柔らかくなったのを見て、真琴もホッとしたように海藤を振り返った。
 「・・・・・」
 真琴と視線が合った海藤は目を細める。
それに微笑み返そうとして、真琴はあっと気付いて海藤の耳元に口を寄せて囁いた。
 「海藤さん、俺差し入れ持って来てないんですけど・・・・・いいのかな?」
今回の訪問は海藤に内緒だという事で、ばれない様にとばかり気を遣っていた真琴は自分が手ぶらだという事に今更ながら気
付いた。
楓は招待する側で、もちろん料理や酒はあらかじめ準備をしているし、上杉もかなりの酒を差し入れしている。
静や友春は本当にお客様という形なのでいいのだが、自分達だけ何もと気になってしまったのだ。
 「ああ、大丈夫だ」
 しかし、真琴の心配は杞憂だったようで、海藤はちゃんと差し入れをしていたらしい。
丁度運び込まれた立派な船盛りを見ながら雅行が頭を下げて言った。
 「海藤会長、今回は差し入れをありがとうございます。下の者にも鮨を頂きまして、ありがたく頂きます」
 「せっかくだからな」
 「・・・・・」
(さすが海藤さんだ)
酒は上杉、肴は海藤といったところか。
真琴は大人の2人の対応に感心するしかなかった。



 「ちょっと、トイレ」
 太朗は一気にジュースを飲み過ぎたせいか、急にトイレに行きたくなって座敷から出た。
以前も来た事があるので案内はいいですと言って1人で洗面所に行き、そのまま座敷に戻ろうとして突然思い出してしまった。
 「お菓子忘れた!!」
楓に差し入れるつもりのカバンいっぱいの菓子。それを車のトランクに入れたままだということをすっかり忘れていたのだ。
途中コンビニに寄って追加した物もそのままで、太朗は慌てて玄関から外に出た。
 「坊っちゃん、どちらへ?」
 太朗が玄関を出て直ぐ、見張りをしていた日向組の組員が声を掛けてきた。
容姿は強面だが、太朗はいっこうに怖がることなく素直に説明した。
 「車の中に荷物忘れちゃって!どこに止めてありますか?」
 「私が取りに行きましょう」
 「いいですよ!おじさん、仕事中だし!」
ヤクザの組員に向かっておじさんと堂々と言える太朗はかなり大物で、それでも悪気がないと分かる上に普通に話してくれる
太朗に返って好感を抱いたらしく、組員はわざわざ駐車場まで付いて行って荷物の大半を持ってくれた。
 「ありがとう!」
 その言葉に笑った組員と再び玄関に戻ってきた太朗は、急に玄関がざわつき始めたのに首を傾げた。
 「早く組長を!」
誰かが焦ったようにそう言っている。
 「坊っちゃん、早く中にっ」
太朗と共にいた組員が硬い表情で太朗を促した時、正門の木の門が開かれたかと思うと数人の姿が中に入ってくるのが見え
た。
 「あ、江坂さん?」
 「・・・・・っ」
 何気なく言った太朗の言葉に、近くにいた組員達はぎょっとする。
大東組の理事に向かって普通に名前を呼ぶことがどんなに大変なことかを、この世界にいる組員達は知っているからだ。
 「ぼ、坊っちゃんは・・・・・江坂理事をご存知・・・・・なんで?」
 「一度会っただけだけど」
 少し離れていたが江坂の顔を確認した太朗は、静が待っていると伝えに傍に駈け寄った。
しかし、江坂は1人ではなく・・・・・もちろん護衛らしい組員がいるのは分かるが、そこに太朗の想像以外の人間もいた。
(わ・・・・・外人?)
  見惚れるほどに容姿が整った男だった。
背は、もしかしたら上杉以上かもしれないほど高く、体格もごついというよりはしっかりと筋肉が付いているのだろうと思うほどに
逞しく、足も嫌味なほど長い。
彫りの深い顔は一つ一つのパーツがこれ以上ないほどの絶妙な配置にあり、少し長めの髪は艶やかなほどに黒かったが、じっ
と太朗を見つめてくる瞳は・・・・・。
 「み、碧・・・・・?」
髪は漆黒ながら、瞳は美しい碧色をしている。
どう見ても日本人ではないその男の出現に、太朗は2人の手前で思わず立ち止まってしまった。
じっと視線を向ける太朗に、その男も視線を向けてくる。
 「あ・・・・・え・・・・・と」
なんと言えばいいのか、頭の中でグルグル単語が回った太朗の口から零れたのは、
 「ハ、ハロー?」
ありきたりの言葉だった。



 江坂は内心感心して太朗を見た。
これ程機嫌が悪いアレッシオを前に、逃げ出さないばかりか声を掛けてきたのは相当に度胸があるように思える。
自分の部下などは怖がって視線さえも向けることはなかったくらいで、この高校生の子供を見習えと言いたいほどだった。
アレッシオもいきなりの太朗の言葉に珍しく面食らったようで、つい今しがたまで周りを包んでいた不機嫌のオーラが少し薄くなっ
たような気がする。
 「・・・・・静は」
 江坂が前置きも無くそう聞いたが、太朗の視線はアレッシオに向けられたまま動かない。
 「き、来てます」
 「もう1人一緒に来てると思うが」
 「もう1人?」
ようやく太朗は江坂を振り返った。
 「大学の友達って人が来てますけど」
 「高塚、友春君?」
確認するように江坂がその名前を言うと、アレッシオも視線を向けてきた。
 「そうです、高塚さん」
 「分かった」
(本当にここにいたのか)
 静と友春が同じ大学だという事は知っていたが、まさかこれ程に親しい間柄だとは全く知らなかった。
静は大学でのことはあまり話さないし、休日も友人と出かけるよりは江坂と共に過ごすことが多かったので、江坂も静に危害を
及ぼす者に対しては注意を張り巡らしていたが、それ以外には・・・・・静が自分以外に思いを寄せることは無いと確信してい
たので注意が疎かだったのかもしれない。
 「・・・・・」
 江坂はアレッシオを振り返った。
 『このまま会われますか?』
 『もちろんだ』
日向組という場所がどんな所かは車の中で説明したが、この中には他にも2つの組の長がいる。
色々面倒だと思いながら歩きかけた江坂は、ふと、まだ目を丸くして立っている太朗に気付いた。
 「どうした?」
 「い、今の、英語じゃないですよねっ?どこの言葉ですか?」
 「・・・・・イタリア語だ」
それがどうしたのかと聞き返そうとした時、太朗は無謀にもアレッシオの前に立って元気に叫んだ。
 「チャオ!!」
多分、それが知っているイタリア語なのだろう、太朗はそう言った後通じたかどうかワクワクした表情でアレッシオを見上げている。
普段のアレッシオなら、一瞥もせずに無視していてもおかしくはないだろうが、友春と同じ黒髪に黒い瞳の日本人・・・・・その上
まるっきり子供のようなその態度に、さすがのアレッシオも無視が出来ないようで、少しだけ表情を柔らかくして答えた。
 「Ciao」





                                  





私としては、よくタロが「チャオ」という言葉を知ってるなとも思いましたが(笑)。

でも、この一幕で江坂もアレッシオもタロの底知れないものを感じ取ったと思います。