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新年会が始まって30分ほど経った時、
「失礼します」
手土産を持った小田切が遅れてやってきた。
「お〜、やっと来たか」
「遅れまして」
先ずは客である海藤と伊崎に頭を下げた小田切は、座敷の隅に山積みなっている空の御銚子やビール瓶に目を走らせ
た。
「いいって、いいって」
「・・・・・」
(上機嫌だな)
大丈夫だろうかという小田切の予想に反して、部屋の中は割合に盛り上がっているようだった。
上杉は海藤と伊崎という美貌の主を両手に置き、上機嫌で酒を飲んでいるし、太朗の傍にも青年・・・・・らしい2人が
一緒にいる。
(ああ、本当に日向楓を引っ張り出したのか)
上杉とは違い、楓の顔は知っていた小田切は、内心驚きながらも顔には笑みを浮かべたまま太朗の傍にやってきた。
「あ、小田切さん!」
その姿に気付いた太朗が上機嫌で手を振ってくる。その子供っぽい反応に苦笑を零しながら、小田切は手に持ってい
たケーキの箱を差し出した。
「御所望のモンブランですよ。他にも幾つか選んできました」
「ホントッ?ありがとう!小田切さん!ほらっ、お前の為に小田切さんがわざわざ買ってきてくれたんだぞ!ちゃんと礼を
言えよな!」
太朗が箱を差し出しながら言ったのは楓に対してで、小田切はこの無茶な注文が太朗ではなく、この美貌の少年のもの
だと悟った。
(そうだな、太朗君らしくなかったし)
庶民の感覚を持つ太朗が、わざわざ『千疋屋』のケーキとは言わないだろうと思い、少し違和感を感じていたのだ。
黙ってその箱の中身を見つめる楓に、小田切は口元に笑みを浮かべながら言った。
「ありがとうは?」
「・・・・・え?」
「人に何かして貰った時は、ありがとうというものです」
「あ、あり、がと」
「どう致しまして」
生意気そうな少年を先ずは屈服させると、小田切は次にもう1人の青年に視線を向けた。
初めて見るその青年は、一見平凡な容姿に見えがちだが、実はとても印象的な雰囲気を持っていた。
楓のように一見して分かる美貌の主ではないが、どこか気になる、どこか惹かれる要素を多分に持っているようだ。
じっと視線を向けてくる小田切に気付いたのか、青年はぺこっと笑って頭を下げた。
「初めまして、西原真琴といいます。今日は海藤さんに連れてきてもらいました」
「・・・・・ああ、あなたが海藤会長の・・・・・」
(噂の新しい愛人か)
「おい、伊崎、助けに行かなくていいのか?大事なお姫さんをうちの小田切が苛めてるぞ」
「・・・・・楓さんは子供ではないですよ」
「分かってないなあ、お前は。こういう時は大人も子供もないだろうが」
この中では小田切の性格を一番良く知っている上杉は、楓のような生意気な少年を苛める小田切の困った癖も把握
しているのでそれとなく伊崎に注意する。
しかし、伊崎は困ったような笑みを浮かべるだけだ。
「大丈夫ですよ、楓さんは」
「お前なあ・・・・・損な性格してんな」
上杉は仕方ないという風に苦笑して、おいっと自ら小田切に声を掛けた。
「お前、今日遅れてきた詫びをまだ聞いてなかったぞ!」
「・・・・・」
その言葉に振り向いた小田切は、一瞬考えるように口をつぐんだが、次の瞬間悪戯を思いついたような妖艶な笑みを浮
かべて、お子様3人に視線を向けたまま言った。
「昨日は夕方まであなたの雑事に付き合わされてしまいましたからね、姫始めが年を越してしまったんです。昨日から昼
過ぎまで、テツオと濃厚な時間を過ごさせてもらったんですよ。あいつ、体力馬鹿ですから、なかなか足腰が元に戻らなく
て、とうとうこの時間になってしまいましたが」
「!!」
意味深な小田切の言葉に、真琴と楓はたちまち自分達の姿を重ねて顔を真っ赤にするが、太朗だけはニコニコ笑いな
がら小田切に言った。
「い〜な〜、小田切さん、一晩中テツオと遊んだんだ〜」
「た、太朗君?」
「あ、小田切さんはテツオっていう土佐犬飼ってるんですよ」
「い、犬?」
「犬か・・・・・」
真琴も楓も太朗の言葉にホッと溜め息を付いたが、小田切はにっこり笑って爆弾を投げた。
「舐めるのも入れるのも大好きな犬でね。私の身体が持ちませんよ」
小田切の言葉に固まってしまった真琴と楓を見て、海藤は内心苦笑を零すしかなかった。
羽生会のクセモノと言われる小田切に口で勝てる者はほとんどいない。
・・・・・いや、開成会にも1人・・・・・。
「お久しぶり、小田切さん。相変わらす美人で目の保養ね」
「綾辻さんこそ男振りに磨きが掛かって。海藤会長の人気を追い抜いてるんじゃないですか?」
「ふふ」
この場で唯一と言っていい、小田切に言葉で負けない男綾辻が、真琴達の前から腰を上げた小田切を手招きした。
「随分お楽しみみたいだけど、可愛い子掴まえたんですか?」
「おかげさまで、性格も身体もいいのが一匹。綾辻さんは最近噂聞きませんが、とうとう1人に絞ったんですか?」
「私も年だから〜」
「ご謙遜を」
2人の会話を直ぐ傍で聞いていた倉橋は、無表情のまま席を移動しようとしたが・・・・・。
「倉橋さんも、今日は迷惑をお掛けしますね。せっかくの正月休みを付き合わせてしまって」
「・・・・・いいえ、私も楽しませて頂いてますから」
「相変わらずお堅い。その鎧を剥いで、目茶目茶に弄って差し上げたいくらいですよ」
「・・・・・は?」
「駄目ですよ〜、克己は私のものなんだから」
「・・・・・ああ、そういうことですか」
「待ってください、小田切さん、そういうこととはどういうことでしょうか?」
「・・・・・言ってもいいんですか?ここで」
「・・・・・」
どうにかして欲しいという視線を綾辻に向ける倉橋だが、綾対は唇の端に笑みを浮かべたまま何も言おうとはしない。
どうすればこの場を穏便に切り抜けられるのかと、倉橋は頭の中でグルグルと考え続けた。
「・・・・・凄い男だな」
思わずと言ったように呟いた楓に、太朗は頬張ろうとしていた焼き鳥の串を手にしたまま小声で言った。
「綺麗な顔で何時もニコニコ笑ってるけど、時々怖いなって感じる時があるんだ」
「時々か?」
「だって、何時もは優しいし」
「そうは見えないけどな」
小田切の存在感は、さすがの楓も無視出来ないほど強烈らしい。
今まで一々太朗に突っかかっていたことも頭の中から消し飛んで、まるで内緒話をするように頭をくっ付けるようにして小
声で話している。
一方の太朗も、今までの楓の態度はすっかり頭の中から抜け落ちたようで、小田切がいかに羽生会の中で最強か、上
杉の情けない裏話も交えて話していた。
「ジローさんが二日酔いで事務所に行った時、頭から水をかぶせて言ったんだって。『シャワー浴びる手間を無くしてあげ
ましたよ』って」
「う・・・・・」
「後、ずっと休み無く働かせていたら、いきなり目の前でカッターで指先切って、『これは労災ですね。労働基準局に報
告されたくなかったら、3日黙って休みを下さい』って言ったんだって。なんか、凄いって思うだろ?」
「凄いっていうか・・・・・怖いだろ」
「でも、本当に普段は優しいんだよ?真琴さんはどう思いますか?」
「お、俺?」
それまで、内心怖い人だなあと思いながら太朗の話を聞いていた真琴は、いきなり太朗に話を振られてどう答えていい
のか分からなかった。
それでも、
「な、なんか、個性的な人だね」
何とかその言葉をひねり出し、
「あ、そういう言い方もあるか」
「そうだな」
年下の高校生コンビが納得してくれたのを見て、やっと安堵の溜め息を付いた。
ほとんどザルといっていい、海藤、上杉、伊崎、綾辻の4人は、見る間に杯を重ねていく。
空の酒ビンだけ見れば、どれ程の大宴会なのだと思ってしまうほどだ。
「海藤、今年の役員会じゃ、多分役が付くぞ、お前」
上杉は、今度はワインを口にしながら言う。
「俺より、上杉さんの方が適役ですよ」
「おいおい、俺なんかを役付きにしたら、組に何をするか自信が無いぞ?なあ、伊崎」
「上杉会長は、自分でおっしゃられるよりも立派な方です」
「褒めても何も出ねえぞ」
上機嫌で笑う上杉を見ながら、海藤はどうしてこの人は欲がないのかと思った。
海藤自身、役職には興味が無い。それでも、上に行く事を否とは思わなかった。
しかし、上杉は、全く違う。本気になればかなりの地位まで行ける男のはずなのに、全く今の場所から動こうとはしない
のだ。
それがいいのか悪いのか、海藤は他人の気持ちまでは分からないが、勿体無い・・・・・そう思ってしまうのは止めることが
出来なかった。
「・・・・・」
(俺は・・・・・違う)
海藤の気持ちは、少し変わった。
愛する存在が出来て、その存在を守る為にも、地位というものは利用出来る。
(真琴の為にも・・・・・俺は上にのし上がる)
ふと、視線を感じた真琴は顔を上げた。
(・・・・・海藤さん?)
グラスを片手に持った海藤が、じっとこちらを見つめていた。
真琴が気付いたのを知ると、海藤の頬には柔らかい笑みが浮かぶ。
その笑みが余りに優しくて、真琴の頬には酔いの為ではない赤みが出てきた。
(どうしたんだろ?)
「ねえ、真琴さん、あの人は、その・・・・・恋人、だよね?」
「・・・・・うん」
誤魔化すことなく頷いた真琴に、太朗はチラチラと海藤を振り返りながら言う。
「怖くない?あんまり笑わないし」
(ジローさんは見て分かるくらい表情が出るけど)
「怖くないよ?すっごく優しいし、ちゃんと見れば表情だって分かるよ?」
「ん〜・・・・・なあ、楓んとこは?あの人、お前にずっと敬語使ってるけど、お前の部下?」
「恭祐は俺の恋人!敬語を使うのは癖なんだよっ」
太朗に名前を呼び捨てにされたことには引っかからなかった楓も、恭祐との関係を誤解されるのは我慢出来ないらしく、
思いの他大きな声で言う。
それは部屋に居た者達に十分聞こえるほどで、さすがに伊崎が楓を制するように声を掛けた。
「楓さんっ」
「なんだよ!恭祐、俺が恋人なのはそんなに恥ずかしいことなのか!」
「・・・・・そんなことはないですよ」
「それなら堂々と言えばいいじゃないか!」
「さすが、日向のお姫様」
「羨ましいわね〜。ね〜、克己」
更に大きな声で言い放つ楓に、小田切と綾辻が勝手な声援を送る。
そして、太朗も頬張った唐揚げをムシャムシャ咀嚼した後、
「すごい、カッコいいな〜楓」
と、感嘆したように言った。
真琴もポカンと口を開けていたが、次第に楽しくなってクスクスと笑い始める。
一気に和やかな雰囲気になった異質な新年会は、それから更に数時間続くことになった。
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