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「はい、専務室です」
尾嶋に叱られる回数が両手で数えられるようになったある日、昼休みが終了する20分前に戻ってきて昼からの会
議の準備をしていたいずみは、受付から掛かってきた電話を取って首を傾げた。
会社の代表電話番号に、慧宛の電話が掛かっているらしいのだが、用件も言わないのでどうすればいいかという相談
だ。
本来なら尾嶋が処理するであろうが、話を聞くぐらいは出来るだろうと電話を替わることにした。
「お電話替わりました、秘書の松原でございます。ただいま北沢は席を外しておりまして、よろしければご用件をお聞
きしますが」
「いないって、本当に?」
聞こえてきたのは若い女の声だ。
「はい」
「居留守とかじゃなくて?」
「居留守?」
いずみの怪訝そうな声に、女は慌てて言葉を続けた。
「ごめんなさい、最近さと・・・・・北沢さんと連絡がとれないものだから。携帯の番号、変わったかしら?」
「い、いいえ、会社所有のものに変更はありませんが・・・・・」
「・・・・・そう。教えてもらうことは出来ないわよね?」
「私の一存では・・・・・あの、ご用件、お伝えしますが・・・・・あ」
どうやら仕事相手ではなく、プライベートな相手のようだと察したいずみが困ったように視線を彷徨わせると、タイミング
よく尾嶋が戻ってきた。
電話を取っているいずみに目を向けた尾嶋は、その困ったような顔に敏感に気付くと、自分が変わろうというジェスチャ
ーをした。
「すみません、少しお待ち下さい」
保留ボタンを押すと、いずみは急いで言った。
「あの、専務宛の電話なんですけど」
「どこから?」
「会社じゃなくて、瀬川さんっていう女性の方なんですが・・・・・」
「分かりました」
自分のイスに腰掛けると、尾嶋は電話に出た。
「尾嶋です。・・・・・はい、お久しぶりです」
滑らかに会話を続ける尾嶋は、どうやら相手を知っているようだ。
いずみはホッとして、中断していた作業を始めたが、始めは穏やかだった尾嶋の口調が次第に冷たく慇懃無礼な調子
に変わっていくのに、急に不安になって視線を向けた。
「いい加減になさって下さい。貴方はそんな非常識な女性だったのですか?」
「・・・・・」
(どうしたんだろ・・・・・)
珍しい尾嶋の態度に、いずみはますます困惑するが、尾嶋はそのまま態度を変えることなく電話を切った。
「あの、尾嶋さん」
「今の方からの電話は、今後一切取らなくて結構です。受付の方にも伝えておきますから」
「は、はい」
質問は受け付けないといった態度に頷いたが、いずみはかえって電話の相手が気になった。
(もしかしなくても・・・・・あれって、専務の彼女だよね)
名前を言い掛けて、慌てて言い直していた。親しい間柄と思う方が自然だ。
(最近連絡とれないって、もしかして俺との許婚の約束が原因?・・・・・って、あれは冗談だし、男の俺と女の人を同
列に比べること自体変っていうか・・・・・)
「松原君」
(でも、許婚が男って、俺と専務と尾嶋さんしか知らないはずだし、誤解しててもおかしくないよなあ)
「松原いずみ君」
「うわっ、あっ、はい!」
自分の考えに浸っていたいずみは、不意にポンと肩を叩かれた瞬間、弾ける様に飛び上がった。
そんないずみが何を考えていたのか丸分かりの尾嶋は、事実だけを簡潔に言った。
「確かに以前専務とお付き合いのあった方ですが、専務はきっぱりと分かれておいでです。今は全く関係ない方なの
で、あなたは何の心配もなさらなくていいんですよ」
「お、俺は、別に・・・・・」
「正式な許婚はあなたですから」
「は、はい」
言い切られて、いずみは反射的に頷いてしまった。
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