洸の気持ちは、いずみには分かるような気がした。
あれだけ許婚だとか好きだとか言われ、キスまで交わしているというのに、どこか気後れしてしまうのだ。
新社会人とはいえ、社会に出たからこそ感じる差というものがあるのだろうが、洸はまた別の不安があるのだろう。
社会人の尾嶋と高校生の洸と、その違いを洸は今強烈に感じているに違いなかった。
 「洸君・・・・・」
 何と言っていいのか分からないいずみが口ごもってしまった時、不意に後ろからポンと肩を叩かれた。
 「専務っ」
自分では分からなかったが、いずみは随分不安そうな顔をしていたようで、慧は肩に置いた手をそのままいずみの腰に
まわして抱き寄せた。
何時もなら慌てて振り払ういずみも、今は洸のことが気になっているのか慧の手をそのままにしている。
 「あの、洸君が・・・・・」
 「洸」
 尾嶋は俯き加減の洸の顔を覗き込むようにして見つめた。つい先ほどまでいずみとはしゃいでいた明るい笑顔は消え
ており、どこか思い悩むような表情だ。
 洸のことはどんな些細な事でも見逃さない尾嶋は、直ぐにこの場を立ち去ることを決め、上司である慧を振り返って
言った。
 「申し訳ありませんが、しばらく席を外して構いませんね?」
既に決定事項として、形だけ慧から許可の言葉を貰おうとする尾嶋に、慧も苦笑を浮かべて頷いた。
 「構わん」
 「ありがとうございます」
 尾嶋は直ぐに小柄な洸の肩を抱き寄せながら静かに言った。
 「部屋に戻って、少し休もうか?」
 「大丈夫!和彦さんは仕事に戻って?」
気を遣っているのが丸見えな表情で言う洸に、尾嶋は複雑そうに眉を顰める。
こんな尾嶋を見たのは初めてで、いずみは自分まで緊張してしまった。
 「私も少し疲れたんだ。洸、部屋まで連れて行ってくれないか?」
 「でも・・・・・」
 「そうしてくれ。さっきから青い顔をしてうっとおしかったんだ」
重ねるように慧が言うと、洸は慧、いずみ、俊栄と順番に見つめ、最後に尾嶋に視線を向けて言った。
 「じゃあ、ちょっとだけ」



 会場から2人が立ち去る後姿を見送りながら、いずみは思わず、
 「・・・・・いいな」
そう、言葉を零していた。
2人の関係が伯父甥以上にあるかどうかなどは分からないが、お互いを思いやっている気持ちが痛いほど感じられる。
 「私達も戻るか?」
 からかうように言う慧を、いずみは恨めしそうに睨んだ。
 「専務の言葉は、本気か遊びか、全然分かりません」
 「いずみ?」
何時も余裕な態度でいずみを混乱させる慧。キスもかなり手馴れたもので、かなり経験が豊富だと想像が付いた。
(そうだよ、あんなに綺麗な女の人と付き合ってたんだし・・・・・)
会社で会った橘のことを思い出し、それにつられて何度か対応した電話のことも思い出してしまった。
あれ程遊んでいた慧が1人に、それも男に、誠実な想いを寄せることなど出来るのだろうか・・・・・?
 信じかけていた気持ちが、ささいな切っ掛けで揺れた。
 「いずみ?」
混乱する気持ちをどうにかしたくて慧を見上げると、何を思ったのか耳元に囁いてきた。
 「キスでもして欲しいのか?」
 「!」
全く見当違いな言葉にカッとして、いずみは慧の手を振り払う。
 「いずみ」
 「俺も休憩させてくださいっ」
 「いずみっ!」
子供のようにぷうっと頬を膨らませたいずみは、慧の声にも振り向かずに会場を出て行った。



 「・・・・・何なんだ?」
 残された慧は呆気に取られたように呟いた。いずみが何に怒っているのか全く分からない。
 「馬鹿だな、お前は」
その場に残っていた俊栄が笑みを含んで言う。
 「もっと慣れていると思っていたが・・・・・」
 「それなりに遊んできたけどね」
まだ子供だと言われているみたいで、さすがに慧もいい気分はしなかった。
 「お前は数こなしてただけだろう」
 「じいさんっ」
 「ま、遊びの相手と本気の相手は、まるっきり違うことを忘れないようにな。単に飾った言葉を言うだけじゃ、相手は
信じたくても信じられない」
 「・・・・・私の言葉が嘘っぽいってことですか?」
 「自分で考えればいい。私はいつでもいずみ君の味方だからな」
 「・・・・・」
簡単には出ない答えに、慧は恨めしそうに俊栄を見るしかなかった。