TRAP
2
太朗は運転をしている上杉の横顔をちらっと見た。
「・・・・・」
声を掛けようとしたものの、どうしようかと悩んだ末に結局口を閉ざす。
何度か同じしぐさを繰り返すと、前方を向いたままでこちらを見ていないはずの上杉がクッと笑みを漏らした。
「なんだ、面白い顔して」
「・・・・・ジローさんみたいにカッコいい人と比べられても仕方ないけど」
「俺をカッコいいと思ってくれてるのか?」
「・・・・・っ」
無意識で何を言ったのか、上杉の言葉で気付いた太朗は慌てて口を閉ざす。
その間も、車の中には上杉の笑い声が響いていて・・・・・太朗はじっと黙っていることが耐えられなくなってしまった。
「仕事いいの?」
それが、今一番気になっていたことだ。
小田切に言われて組員のペット相談に乗った後、再び上杉の部屋に戻ってきた太朗に、上杉は出掛けるぞと言いながら立ち上
がった。
そうでなくても、自分の勝手な事情で仕事の邪魔をしてしまった上に、さらに中断させて食事に連れ出すことになってしまうなど、
何だか申し訳なくてたまらなかった。
「いいよ」
「ホント?」
「小田切も見送ってくれたろ?」
確かに、何時もなら上杉のサボりをやんわりと咎める小田切も、ごゆっくりと笑いながら見送ってくれた。
それが、上杉の身体が空いたからだといい方向にとっていいのだろうか・・・・・太朗はそう思いながら、ハァと息をついてしまった。
「・・・・・ごめん、ジローさん」
「ん?」
「俺、変なこと言っちゃって」
告白をされたくらいで頭がパニックになったことが、冷静になった今考えると何だかとても恥ずかしい。膝の上に置いた手をギュッと
握り締めると、右側から伸びてきた大きな手が宥めるようにそれに重ねられた。
「変なことじゃないだろ」
「え?」
「恋人の問題は俺にとっても重要なものだしな。それに、お前に隠されるより、こんなふうに言ってくれる方が嬉しい」
「・・・・・」
上杉は、大人の余裕で全てを受け入れてくれる。
それに甘えるばかりはいけないと思うのに、やはり自分にとって上杉は何時でも頼もしい恋人だった。
上杉に諭されたせいか、太朗は気持ちを入れ替えたようで先ほどの組員が飼っているという犬の話を始めた。
動物好きの太朗は動物の話をする時はとても顔を輝かせていて、上杉は弾む声を聞いているだけで自分の気持ちも温かくなっ
た。
(・・・・・ったく、何の目的でこいつに近付いた?)
太朗が下の事務所にいっている間、小田切はずっとパソコンの前で正体不明の女、染谷由梨のことを調べていた。
しかし、そもそも顔も分からず、名前も偽名かもしれない相手を追うのは大変で、小田切は直ぐにターゲットを羽生会と敵対す
る組織に変えた。
今、大きな抗争は無い。
しかし、経済ヤクザの中でも成功している上杉に、恨みを持つ者は皆無ではなかった。
それは大東組の理事でもある開成会の海藤貴士(かいどう たかし)や大東組の総本部長、江坂凌二(えさか りょうじ)も
同様だったが、彼らにはそれなりの地位がある。
実力はあっても、何の権力も持っていない上杉は、ある意味狙われやすい立場なのかもしれない。
理事の椅子を蹴ったことは後悔してはいないものの、太朗のためを思ってしたことが反対に太朗に危険を及ぼしているのなら、
上杉もきちんと考えなければならなかった。
「タロ、何が食べたい?」
「俺?えーっと・・・・・肉!」
「肉か・・・・・」
「焼肉行こうよ」
鉄板焼きやステーキ専門店を考えていた上杉は、太朗のその言葉に笑う。どうやらまだまだ、食べ盛りなようだ。
「いいぞ。食い放題にでも行くか?」
「えっ、行っていいの?」
「ああ」
「うわっ、どこ行くっ?鮨とかカレーもあるとこがいいよなっ?」
味は専門店には劣るかもしれないが、十分なボリュームと様々なサイドメニューが揃っている店は、太朗の年代では身近なもの
なのかもしれない。畏まることも無く食事が出来ると嬉しそうな表情を隠しもしないのがまだ子供だと思った。
「その後は、俺のマンションに直行な」
「ちょ、直行って・・・・・」
「腹が膨らめば、もう一つ満たしたい欲があるだろう?」
丁度赤信号で止まり、意味深に助手席の太朗を見ると、その眼差しが焦ったように落ち着き無く動くのが見えた。
前回、セックスをしたのは何時だったか。大学生活が忙しい太朗の生活を優先しているものの、上杉も時々は我慢が効かなく
て暴走してしまう。
今日は特に、見えない何かを身近に感じているので、しっかりと太朗の存在を腕の中に確かめておきたい。
「拒否権は無し」
「え、あ、あのっ」
「マンションに着いたら、家に電話しろよ」
今日は外泊するってと告げると、太郎は照れくささをごまかすように上杉の膝をパシッと叩いてきた。
夕食時間より少し早く、平日ということもあって食べ放題の店も待つことなく席に着けた。
(・・・・・ジローさん、似合わない)
上杉は車の中でネクタイをはずしてきたが、着ているスーツが上等な物なのは誰が見ても分かるだろう。
その上、堂々としたバランスの良いスタイルに、男らしく整った容貌は、店の中の女性客だけでなく同性の視線も集めていた。
きっと、どんな関係だろうと噂されているかもしれない。大人っぽくなったと最近ようやく言われるようになったが、それでも高校生
に見られてしまう自分は、想像し難い存在かもしれなかった。
(・・・・・恋人だって、大きな声で言えたらいいんだけどな)
さすがに、それをしたら上杉の迷惑になることは分かる。
「おい、タロ」
「・・・・・え?」
「肉、取ってこなくていいのか?」
「あ、うんっ」
いつの間にか、ぼうっと上杉のことを見つめていたらしい。目の前で苦笑する相手に、太朗は慌てて立ち上がる。
「俺は鮨でも持って来ようか」
「ジ、ジローさんは座ってていいから!」
「手分けした方が早くないか?」
「いいから、座ってて!」
あまりにもこの店に似合わない上杉に、店の中をうろうろさせるのは気が引ける。
「俺が取ってくるから、ジローさんは留守番!」
「はいはい」
笑いながらもそう答えてくれる上杉にコクンと頷き、太朗は焦って肉のスペースへと駆けて行った。
何時も上杉が連れて行ってくれる店とはグレードが違うものの、それでも最近の食べ放題の店のレベルは上がってきている。
肉を選んでいるうちに段々と食欲の方に意識が傾いていった太朗は、
「おい、苑江」
「え?」
ポンと肩を叩かれるまで、自分の側に人が立っていることに気がつかなかった。
「あ、田部(たべ)?」
そこにいたのは大学で同じ講義を取っている友人だった。
大学から離れている店だったので、こんなところで会うのは本当に偶然だなと思わず笑ってしまう。
「今から飯?」
「ああ。お前誰と来てるんだ?良かったら俺達と混ざらないか?」
そう言いながら田部が指差した方を見ると、そこには2人の男がいた。2人共見覚えがあるので、太朗は軽く手を振りながらも
断る。
「俺、知り合いと来てるから」
「へえ」
「・・・・・あっ」
何気なく会話をしながら、太朗はあっと思い出した。
「田部っ、染谷って子のこと覚えてるっ?」
「染谷?」
太朗が人数合わせで借り出されたのは、まさしくこの田部の主催するコンパだった。途中参加もいたらしいので全員を覚えてい
る可能性はかなり怪しいが、可愛い女の子のことは覚えているのではないかと思う。
今日、染谷に告白されてシドロモドロになって、ちゃんと断っていなかった。そのくせ、彼女の連絡先ももちろん、どこの学部かも
知らないので、高校時代と同じあやふやなまま幕切れになってしまうかもしれないと思ってはいたのだ。
しかし、田部ならば・・・・・そう期待して訊ねた太朗に、彼は首を傾げて言った。
「染谷・・・・・いや、覚えがないなあ」
「え?栗色の髪がクルクルで、結構美人の子だぞ?」
「そんな子がいたら覚えてたよ。あの時、人数合わせにお前を呼んだけどさ、結局女の方が5人もドタキャンして・・・・・競争率
激しかったこと覚えてないか?」
「・・・・・全然」
楽しかった会話と、美味しい焼き鳥と、慣れないアルコールで頭がポワポワしていたことしか覚えていない。
情けなく眉を下げると、田部はその時のことを思い出したのか笑いながら太朗の髪をクシャッとかき撫でた。
「まあ、苑江はそんな感じだし」
「・・・・・」
子供だと言われているようで少々ムカつくが、言い返しようがないので黙る。
「とにかく、そんな可愛い子がいたら覚えているはずだけど、名前も顔も心当たりある奴いないな。なに、その女の子に用があん
のか?」
「・・・・・いや、ごめん、いい」
(あの子・・・・・嘘ついたのか?)
それとも、単に田部が忘れているか、彼女と顔を合わせていないか。
(・・・・・だって、嘘をつく理由なんてないし)
誰かに好きと言う時、嘘を混ぜるなんて太朗にはとても考えられない。
きっと、田部は酔っていて覚えていないだけだと、太朗は無理矢理疑問を押し退けた。
同じ年頃の男と話していた太朗が、浮かない表情で戻ってきた。一目で何かあったのだと分かった上杉は、男の存在を目の端
で確認しながら太朗に話しかける。
「友達に会ったのか?」
「・・・・・うん」
「どうした、何か言われたか?」
まさか男同士で焼肉を食べに来たって直ぐに変だと思う者などいないはずだ。
「何も、言われてないよ?」
「タロ」
「本当だって」
明らかに、《何かあった》という顔だ。本人は知ってか知らずか、心の内がすべて表情に表れる太朗は、上杉に対して絶対に嘘を
つくことなど出来ない。
(仲は良いように見えたが・・・・・)
会話の初めの頃はお互いに笑っていたが、途中から太朗の表情が変わった。
何があったのか、もう少し強引に聞けばもしかしたら答えてくれるかもしれないが、上杉は太朗の方から話してくれることが一番良
いと思っている。
無理に口を割らせては、どこかで隠してしまうものもあるかもしれない。
「食うか」
「・・・・・ジローさん」
「ここ、時間制限あるんだろ?」
そう言うと、太朗はパッと時計を見上げる。
「もう15分も過ぎてる!」
「今度は一緒に食糧確保に行くか」
上杉が立ち上がっても、今度は座っていてと言ってこない。
「鮨は鮪と卵で良いのか?」
「・・・・・海老も」
「分かった。肉、山盛りに取って来い」
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