TRAP













 食べている時は気懸かりなことは忘れることが出来たが、食事を終え、上杉の車に乗り込む頃には再び友人の言葉を思い出
した。
 どうして染谷由梨は自分に嘘をついたのか。いや、そもそも、どうして自分の名前を知っていたのか、太朗は分からなかった。
好意的に考えたら、染谷が太朗に近付きたいがためにあんな口実を口にしたのだということもありえるが、太朗自身自分がそれ程
異性にモテるとは思っていない。
(だったら、どうして・・・・・)
 「おい」
 「・・・・・ふぇ?」
 「・・・・・ったく、何マヌケな声を出しているんだ?」
 笑みを含んだ声の後、クシャッと髪をかき撫でられ、太朗は運転席に座る上杉を見た。
自分よりもかなり敏い上杉は、きっとおかしいということを感じているはずだ。それなのに何時もと変わらない態度で接してくれてい
るということに、彼の大人としての大きさを感じた。
 何かあると一々考え込み、動けなくなってしまう自分とは大違いだ。
(・・・・・でも)
それでも、少しずつでも上杉に近付きたいと思っている太朗にとって、彼のこの態度は羨ましくて嬉しいのに、どこかで悔しいとも思
う。いっそ、何があったと聞いてくれた方が口を開きやすいのに、わざとそれをしないのも・・・・・。
 「・・・・・ジローさんって」
 「ん?」
 「俺を、甘やかすよな」
 様々な気持ちが入り混じって、結局そんな言葉を出してしまった太朗に、上杉は一瞬だけおっというような表情をしたが直ぐに
目を細めて笑った。
 「当たり前だろ、お前は俺の可愛い恋人だし」
 「でも、俺・・・・・」
 「俺としては、もっと甘えて欲しいと思ってるぞ。最近のタロは大人になって、俺を置いていきそうな勢いだからな」
 「そんなことっ」
 絶対、それは上杉の欲目だと思うのに、現金な口元は緩んでくる。
こんなふうに上手に気持ちを誘導してくれることこそ最大の甘やかしだと思うが、今はまだそれにのっていいのだと上杉は言ってくれ
ているのだ。
 「・・・・・さっき、気になることを言われたんだ」
だから、太朗も自分の小さなプライドを押し退けた。

 「いなかった、ね」
 友人の言葉をそのまま伝えると、上杉はフッと苦笑を零した。
その表情を見て、太朗はアッとあることに思い当たる。
 「ジローさん、気付いてた?」
 変な話、自分の周りに怪しげなことがあると上杉は直ぐに反応してくれるのに、今回のこの反応は太朗が拍子抜けするほどあっ
さりなものだった。だとすれば、予め上杉がこのことを知っていたと考える方が早い。
 「まあな」
 「!」
 どうして教えてくれなかったのかと上杉を責めそうになった太朗だが、ここで当たったら絶対に上杉が喜ぶのは見えている。それくら
いの彼の心の動きが分かるほどには、太朗だって成長したのだ。
 「・・・・・」
 「タロ?」
 予想外に太朗が吠えないので不審に思ったのか、上杉が顔を覗き込んでくる。それでも十二分に余裕たっぷりの表情に、いった
いどうしたら慌てさせることが出来るのだろうかと太朗は目まぐるしく考えていた。




 太朗の様子がおかしかった理由は、本人の口からちゃんと聞けた。
それ自体は良かったが、思ったよりも反応が静かで、上杉はその方が気になってしまう。きっと太朗ならば上杉が女の不審さを黙っ
ていたことに怒ると思ったが、まさか予想以上に騙されたことに落ち込んでいるのだろうか。
(まさか、その女が気になってとは言わないだろうが)
 有無を言わせずマンションに連れ込み、自宅に外泊の電話をさせた。

 「大学はサボルなって」

幸運にも、口煩い太朗の父は不在だったようで、母親が念を押すようにそう言っただけで許可が下りたらしい。
高校生だった頃とは違い、大学生にもなるとかなり融通が利くようになった。
 「・・・・・」
 今、太朗は風呂に入っている。駄目もとで一緒に入ろうかと誘ったが、あっさりと却下されてしまった。
風呂が好きな太朗はきっと30分は出てこないだろう。その間にと、上杉は携帯を取り出した。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「出ねえな」
 電源を切っているわけでなく、電波の入らない場所にいるわけでもないくせに、相手はなかなか電話に出ようとはしない。
きっと、こちら側の焦りを笑っているのだと思うと意地でも切ってやりたくなくて、上杉は眉間の皺を徐々に深くしながらさらに待ち続
けた。
 【・・・・・はい】
 どのくらい経ったか、ようやく相手が出た。
 「遅い」
低い声で言うと、相手がふっと笑みを漏らす気配がした。
 【セックスの途中で電話に出るのはマナー違反でしょう】
 「なんだ・・・・・犬がいるのか?」
そのわりには、全く呼吸が乱れた様子がない。
 【あなたの電話のせいで遅漏になっちゃいましたよ】
 裕さん・・・・・と、焦ったような声が電話の向こうから聞こえる。
(・・・・・よくこいつと付き合うな、あの犬も)
自分だったらとうにキレてると思いながらも、他所のセックス事情など知りたくもなくて、上杉はさっさと用件を切り出した。
 「太朗が女の嘘に気付いた」
 【おや、鋭いですね】
 「飯を食う時に友人に会って聞いたらしい。小田切、面倒になる前にさっさと片付けろよ」
 【簡単に言いますが・・・・・】
 さらに何か言おうとした小田切の電話をさっさと切ると、上杉はそのまま携帯の電源を落とした。さすがに家の電話に掛けてくる
ような面倒なことはしないだろう。
 ああ言ったが、太朗を気に入っている小田切もそれほど長く今回のことを引きずらないはずで、間もなく今回のことは過去の話
だと流せるはずだ。
 「お先に」
 「・・・・・」
 その時、リビングの中に太朗が入ってきた。このマンションに置いている自身のパジャマに身を包み、濡れた髪を肩に掛けたタオ
ルで拭いている。
だいぶ丸みの無くなった頬は熱さのせいか赤く火照っていて・・・・・上杉は思わず手を伸ばし、柔らかな頬を摘んだ。
 「・・・・・なに、これ」
 「ん?愛情故だ」
 「・・・・・痛い」
 「少し我慢しろ」
 変な女のせいで多少時間はとられてしまったが、そのおかげで強引にでも太朗と共に過ごす時間が取れた。
久し振りに愛しい恋人を抱けるかと思うと柄にも無く嬉しくて、そんなはしゃぐ気持ちを抑えるのにこれでも必死なのだ。
 「・・・・・変なの」
 文句を言いつつも、太朗も逃げようとはしない。
上杉はしばらく滑らかな頬に悪戯を続けてしまった。




 「タロ」
 思った以上に早く出てきたなと思いながら視線を向けた太朗は、
 「ちょっ、ジローさんっ、ちゃんと着ないと風邪ひくってば!」
下半身にバスタオルを巻いただけの姿で現われた上杉に呆気に取られる。
そんな太朗の腕を掴んだ上杉は、太朗が見ていたリビングのテレビを消したかと思うと、そのまま引っ張って行った。
 「ジローさんっ?」
 「テレビなんか見るより、2人ならもっと楽しいことが出来るだろ」
 「・・・・・オヤジだ」
もちろん、太朗も恋人の家に泊まるという意味が分からないほど子供ではない。
実際、上杉とはしばらく触れ合っていなかったので、少しでも早くその熱さを感じたいとも思っていた。
 ただ、それをそのまま伝えるのはやはり照れくさくてしかたがなく、どうしても言葉が悪くなる。それを上杉はちゃんと分かっているの
だ、なんだか今の時点で自分の方が負けている感じだ。
(でも、負けっぱなしじゃないからなっ)
 「わっ」
 寝室に入り、軽くおされてベッドに腰掛ける。キングサイズのベッドは、軽く太朗を受け止めてくれた。
 「・・・・・タロ」
 「・・・・・っ」
(エ、エロ声っ)
わざと、甘く低い声で名前を呼んで、上杉は太朗の羞恥心を煽るのだ。反応が面白いからと言われたこともあるが、これはどんな
に身体を重ねたって慣れるものではない。

 チュッ

 音をさせて軽く唇を合わせた上杉がそのまま太朗の背中をベッドに倒した時だ。
 「ま、待って」
今しかないと、太朗は上杉の胸を片手で押さえる。力はこめていないが、上杉は止まってくれ、一体何を考えているのだと面白そ
うに目を細めて見つめてきた。
 「ジ、ジローさんは、染谷さんのこと知ってて俺に黙ってたよな?」
 「・・・・・それで?」
 「お、俺、少し怒ってるんだけど」
 「・・・・・まさか、お預けってことか?」
 そんなことが出来るのかと、上杉の大きな手がパジャマの上から太朗の腰をゆっくりと撫でてくる。意味深なその動きに反射的に
声が出そうになるが、太朗はギュッと唇を噛み締めてそれを我慢した。
 「・・・・・」
 上からそれを見つめていた上杉が、少しだけ困ったように太朗の唇を指先で撫でてくる。優しいその動きに太朗は絆されてしま
いそうになるが、この先上杉に秘密を持たれないようにするためにもきっちりと言うべきことは言っておかなければ。
 「・・・・・今回のこと、俺のガードが緩かったのかもしれない・・・・・ごめん」
 「タロ」
 「でも、俺のことなんだ。ジローさんが考えて黙ってくれていたことも分かるけど、ちゃんと全部話して欲しい・・・・・駄目、かな」
 まだまだ頼りない自分は守る存在なのだと思っているかもしれないが、もうちゃんと受け止めることも出来ると思っている。
太朗がじっと上杉を見上げると、しばらく黙っていた彼はやがて根負けしたように軽く額にキスをしてきた。
 「分かった」
 「ジローさん」
 「これからは、ちゃんとお前にも話す・・・・・それでいいか?」
 自分の思いを受け入れてくれた。嬉しくて、泣きそうになる。
 「・・・・・うん、ありがと」
 「お前も、子供じゃないんだな」
 何よりも自分のことを考えてしてくれたことに、こんなふうに反論してしまうのは本当は違うのかもしれない。それでも、上杉はちゃ
んと太朗を男として、大人として扱ってくれると約束してくれた。
 「じゃあ、話は終わりだな」
 「え?・・・・・ひゃあっ!」
 いつの間にかパジャマの裾から忍び込んできた手に乳首を摘まれ、大きな声を上げる。
 「ジ、ジローさんっ!」
(せ、せっかく、感動してたのに〜っ!)
上杉性善説は、あっという間にエロ伝説に切り替わってしまった。
 「しないのか?」
 「し、しないかって・・・・・っ」
 「久し振りだからな、グチャグチャにして泣かせてやる」
 「嘘!」
久し振りだからゆっくりとしようと考えてくれないのかと太朗が焦って言えば、上杉は意地悪で色っぽい笑みを返してくる。
 「ホント」
 先ほどの、真摯な姿は幻だったのか。太朗は笑いながら圧し掛かってきた上杉の厚い胸を押し返すことが出来なくて、そのままぐ
えっと抱き潰されてしまった。