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今回の宿は修善寺温泉にとってある。
静岡県とはいえ、今は東名高速道路を使えば近いものだ。
「よし、次は誰が歌うっ?」
今日は無礼講だという雅行の言葉もあってか、バスの中は既に宴会に近い状態だ。それでも年配の組員は酒の量をセーブ
しているし、若い組員はそんな兄貴分達に遠慮は忘れない。
ただ、それほどに酒が入っていなくても、組員達は楽しかった。親分である雅行が同行し、その上日向組のマスコット的存在で
ある楓もいるのだ。
これが楽しくなくてなんだというのだろう。
「そ、そろそろ、トイレ休憩、ですけど」
運転手が恐々と口を挟んできた。
今回はヤクザの組という特殊な団体なのでバスガイドは付かず(特に観光の予定はないので困らない)、運転手が全ての世話
をしなければならない。
それでも、このバスの中にはバスガイド以上に華やかな存在がいた。
「みんな!トイレ休憩だって!バスを降りても素人さんに絡むなよ!」
「はい!」
どんなに厳つい男達でも素直に従ってしまう天使の声。
つい今までカラオケに興じていた者達も、楓の言葉に素直に頷いた。
「恭祐も降りるだろ?」
伊崎の座っている席に歩いて近づいてきた楓は(東京を出てからほとんどバスの中を歩き回っていたのだ)、ワクワクとしたように
聞いてきた。
(子供みたいだな)
この旅行が決まってから、楓は本当に指折り数えてその日を待っていた。
学校の修学旅行は行ったが、家族旅行というのは今までになかったからだろう。いくら家が特殊な家業をしているとはいえ、子
供ならもっと我が儘を言ってもいいはずだったろうに、その点では楓は我が儘を言うような子供ではなかった。
自分が、家族が、世間とは少し違う存在だということを、幼い頃から楓なりに自覚をしていたのだろう。
ずっと傍にいた伊崎はそんな楓を可哀想にも思っていたが、楓は人に同情されることが何よりも嫌いな子供で・・・・・伊崎は慰
めを言う事は出来なかった。
だからこそ、ではないが、恋人という関係になったからには楓が蕩けてしまうほど可愛がって優しくしてやりたいと思っている。
ただし、やはり組長である兄の雅行や他の組員達の前では押し殺しておかなければならないのがもどかしく、こういう少しハメを
外した時くらいは堂々と可愛がろうと思った。
「楓さんは?」
「俺?サービスエリアってとこ、変わった物が多いんだろ?ちょっと見てみたい」
「それなら一緒に行きましょうか」
「うん!」
「伊崎、あんまり甘やかさなくていいぞ」
雅行のその言葉は、出遅れてしまった為のボヤキに聞こえる。
伊崎は苦笑しながら頷いた。
それから間もなく、バスはトイレ休憩を取る足柄SAに入った。
こういった場所に来た事が無い楓の為に、目的地と多少前後になったとしても、この付近で一番大きなSAに寄ると決めたのは
ブラコンの組長、雅行だ。
多分、そういったことを楓には言わないタイプの雅行の為にも、伊崎はバスで待つ雅行への土産を何か選ぼうと楓に提案した。
「兄さん、バスで待ってるのに?」
「差し入れして差し上げたら喜ばれますよ」
「・・・・・そうかな」
雅行に負けないくらい、楓もブラコンである。
伊崎にそう言われるとそうなのかなと思ったらしく、早速屋台を覗き始めた。
「わっ、恭祐、あれ美味しそう!」
夏休みだからか、このSAにもかなりの人がいる。
これだけいれば多少柄の良くない人物がいても相殺されるのか、日向組の一行に一々目をやる人間は少なかった。
だが。
「あ、あれもいいな〜」
「・・・・・」
「ちょっと、恭祐、聞いてるのか?」
伊崎の腕を掴み、目移りしそうに屋台を眺めていた楓は、少し表情が険しくなっていた伊崎に文句を言ってきた。
眉を潜め、少し頬を膨らませて・・・・・しかし、そんな顔も十二分に綺麗なのだ。
(やはり目立つ、な)
どれほど多くの人間がいても、自然と目がいってしまう、いや、強烈に視線を引き寄せてしまう楓の美貌。
それを証拠に、老若男女を問わず、そこかしこから楓を見ている視線を感じる。
(あまり長居をしない方がいいか)
女達は、嫉妬を感じることも出来ないほどの楓の美貌に圧倒され。
男達は天使とも悪魔とも取れる不思議な魅力に目を奪われ。
相手が一般人だからと何とか我慢をするが、伊崎も恋するただの男だ、楓を男達の欲望の目にこれ以上晒すのは面白くなかっ
た。
「会計を済ませてきます」
「え?もう戻るのか?」
「他に欲しい物があるのなら買わせてきます。とにかく一度バスに戻らないと・・・・・いいですか、直ぐに戻りますからここから動か
ないで下さい」
「分かったよ」
「本当に?」
「子供じゃないんだから心配するな」
「・・・・・」
(・・・・・子供じゃないから心配なんだが)
数メートル先のレジに向かう伊崎の後ろ姿を見送っていた楓は、自分と同じように伊崎を追いかける視線に気がついていた。
(あいつは俺のことばかり心配するけど、自分だって狙われてるんだぞ)
バスを降りてからずっと感じる、伊崎への熱い視線。
とても30半ばを過ぎているとは思えない涼やかで凛々しい美貌に惹かれる女がいたとしても仕方が無いが、消して面白いことで
はなかった。
幾ら自分の美貌に自信を持っていても、伊崎が楓のことしか見ていないことを知っていても、面白くないものは面白くない。
「ふんっ・・・・・ん?」
(わさび団子?)
ふと、伊崎から少し目線を外した楓は、珍しいその響きに目を止めた。
(・・・・・兄さん、驚くかな)
あの顰め面が泣き顔になってしまうところを想像して思わず微笑んだ楓は、伊崎にこれも買ってもらおうと手を伸ばした。
すると、
「それ、買うの?」
軟派な口調にさらに面白くない気分になってしまうが、顔を上げた時の楓の顔は、まるでそんな不機嫌さを感じさせないように
にっこりと天使の笑顔になっていた。
「うん、そうですけど?」
周りの牽制をかいくぐって楓に声を掛けてきた大学生風の男は、真正面から見た楓の完璧な美貌に絶句してしまったようだ。
(面白い)
もっとからかってやろうと少し恥ずかしそうに笑って見せると、面白いように動揺して真っ赤になっている。
「あの?」
「あ、え、えっと、それ、買ってあげるよ!」
「そんな・・・・・知らない人にそんなこと・・・・・」
「た、旅は道連れって言うじゃないか!ここで会ったのも何かの縁だし!なっ?」
「・・・・・優しい方なんですね、お兄さんて」
「!」
その言葉が決定的だったようだった。
少し混んでいたレジからようやく引き返してきた伊崎は、何人もの男達に囲まれている楓を見て唖然とした。
「あ、あれも美味しそう♪」
「あ、じゃあ、私が」
年齢もバラバラの男達の手には、山のような土産物やツマミ、その土地の変わったマスコットやキーホルダーまでがのっている。
「楓さん・・・・・」
その意味が十分に分かってしまった伊崎は、深い溜め息をついてしまった。
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