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「つ、着きました」
「・・・・・」
途中までの賑やかな車内の中は一転、重苦しい空気に包まれている。
それはこのバスの中の華やかな存在であるはずの楓が、ブスッと眉を潜めたまま黙りこくっているからだろう。
組員全員がその理由を知っているわけではないが、一部その状況を見たらしい組員の情報で、一同はほぼ楓の不機嫌の原
因を察していた。
目撃していた組員の話によれば、どうやら楓の美貌に惑わされた男達がこぞって貢物ではなく、土産を買って楓に持たせてくれた
らしい。それを伊崎が諌め、その後バスに残っていた雅行にも叱られた楓は、すっかりヘソを曲げている・・・・・そういうことだった。
だが、たった1人楓が笑わないだけで、バスの中の雰囲気がこれほど変わるとはと幾分驚きながら、雅行はチラッと伊崎に視線
を向けた。
「おい、どうにかしろ」
「どうにか、とは・・・・・」
さすがに伊崎も苦笑を零している。いや、この段階で苦笑を零せるということ自体凄いなと、兄である雅行は思いながらバスの後
ろを指差して続けた。
「あいつのご機嫌取りは昔からお前が上手かった」
「・・・・・あまり、褒められているという感じがしませんが」
「せっかくの旅行だ。何時までもあれがあんなんじゃ皆が大変だろう。俺も言い過ぎたと言っていると伝えてくれ」
「分かりました」
伊崎にしてみれば、楓のこのくらいの不機嫌はなれたもので、わざわざ雅行の許しという土産を持っていかなくても十分だとは分
かっていた。
それでも、若いながらしっかりしているという評判の組長である雅行の、意外なほどのブラコンぶりにはしっかりと免疫がついている
伊崎なので、そのまま黙ってバスの後ろに向かった。
バスの最後部、津山と並ぶようにして座っていた楓は、近付いてくる伊崎に気付いてチラッと視線を向けたものの、直ぐにふんっと
そっぽを向いてしまった。
(相当にご機嫌斜めらしい)
楓が誰をも魅了する存在だという事は伊崎もちゃんと心得ている。その中でも、同性の楓に対する想いの中には、この綺麗な
存在を自分だけの物にしたいという肉欲を伴った欲望が強いということも。
先程の、楓に貢いでいた男達も、そのほとんどが邪な気持ちを抱いていたはずで、それはけして楓のせいではないのだが、伊崎と
しても雅行としても面白いことではなかった。
楓がそんな相手に気を許すことはないと分かっているのに、大人の男の・・・・・それも強い欲望を抱いた者の力は侮れない。
幾ら楓が機転を利かせても逃げられない場合があるかもしれないし、少しでも危険が感じられれば前もって防いでおきたいと思う
のは当然だろう。
「楓さん」
「・・・・・」
「・・・・・」
伊崎は津山と反対側の楓の隣に腰を下ろした。
「どうしてそんなに怒っているんですか?」
「・・・・・俺は悪くない」
「ええ、あなたが悪くない事は知っています。でも、私の気持ちは考えてくれなかったんですか?」
「・・・・・なんだよ、それ」
伊崎は楓の耳元に唇を寄せた。
「他の男にあなたが笑いかけているのを見て、私が嫉妬しないと思いましたか?」
「きょ、恭祐・・・・・」
組員達はバスの前方へと移動していて、すぐ側には津山しかいない。
その津山には2人の関係はとうに知られているので、伊崎は今のこの言葉を聞かれても構わないと思っていた。
「それに、知らない人から物を貰うのは、やはりいいことではないと思いますよ?組長もあなたを心配されて叱られたんですから」
「・・・・・」
「分かってくださいますね?」
「・・・・・」
楓はその言葉には答えす、そのまま立ち上がって前方へと歩いていくと、いきなり座っている兄雅行にガバッと抱きついた。
おおというざわめきが聞こえ、次に雅行がポンと楓の頭を叩く様子が見えた。
(あれで済ませるとは・・・・・やはり甘いな)
呆れるというよりも微笑ましく感じていると、隣から低い声が掛かった。
「すみません、先程はあなたがいらっしゃると思ってバスを降りなくて・・・・・」
男達に囲まれた楓を守りきれなかったことを謝罪する津山に、伊崎は楓から目を離さないまま言った。
「いや、俺が油断した」
「これからは必ず側にいますから」
「・・・・・」
それも良し悪しだとは思うが、たった今起こったこともあるので、伊崎は直ぐに駄目だと言うことは出来なかった。
「お世話になります」
出迎えた旅館の従業員達に、楓は綺麗な笑顔を見せた。
その笑顔に、旅館の顔である女将も、そして仲居達も、いっせいに見惚れたように言葉を失った。
「女将、俺達の事は普通の客と同じように扱ってくれ」
「は、はい、ようこそお越しくださいました」
続いて言った雅行の言葉に、女将は直ぐに出迎えの挨拶をした。
「兄さん、中に入っていい?」
「ああ、ロビーで待ってろ」
「は〜い」
足取りも軽く、一番乗りだとでもいうように楓が旅館の玄関をくぐり、続いて若いながら威圧感のある雅行がゆったりとした足取
りで続き、その後に秀麗な美貌の主である伊崎が軽く会釈をしていく。
ここまではいったいどんな関係だと思ってしまうほどの不思議な取り合わせだろうが、その後は・・・・・厳つく、強面の男達がぞろぞ
ろと連なっていくと、ようやくこの一行がヤクザの組の一団なのだと改めて気付かされた。
「へ〜」
(結構綺麗じゃん。東武のおじいちゃんもいいとこ紹介してくれたな)
今は大東組の相談役として、それでもまだ十分な影響力を持つ今年78を迎えた東武庄治(とうぶ しょうじ)をおじいちゃんと
普通に言ってのけるのは楓ぐらいかもしれない。
幼い頃から楓の愛らしい容貌を愛で、成長してからも邪な思い抜きで楓を可愛がってくれている東武直々の紹介だ。
きっとサービスも期待していいのだろうと楓は笑ったまま、上品ですっきりとしているロビーをぐるりと見回した。
午後4時過ぎ、チェックインをする客は多く、ロビーには一般の客もかなり見える。
その客達はこの視界の暴力的集団はいったい何なのだろうと恐れと興味を含んだ視線を向けてくるが、その視線が楓や伊崎に
向けられると一様に息を飲む様子が見られた。
それほどにこの2人の容貌は飛びぬけたものがあるのだが、楓も伊崎もその視線は一切無視している。
「ねえ、部屋割りは?」
「俺とお前は同じ部屋だろ」
「え〜、兄さんと一緒?」
「何だ、嫌なのか?」
「だって、兄さん早く寝ろって煩いんだもん」
「それは学校がある時は当たり前だろう。旅行中は違うのは当たり前だ」
「ホント〜?」
楓が雅行を《兄さん》と呼んだ瞬間、周りの空気がザワッと揺れた。
容貌から見れば、とても2人が兄弟だとは思えないのだろう。
「一緒に風呂入る?」
「背中流してくれるか?」
「いいよ。兄さんとお風呂入るの久しぶりだもんね」
そんな周りの思惑など一切構わず、2人は仲睦まじく話している。
美女と野獣・・・・・そんな言葉が見ている者達の頭の中を支配していた。
「お〜い!みんな一緒に風呂入る?」
「−−−−−!!」
何気なく振り返った楓が、組員達にそう言った。
声なき声を上げて・・・・・それでも、楓と風呂に入りたいと手を上げかけた組員達は・・・・・無言で睨みつけてくる雅行と伊崎の視
線に慌てて首を横に振った。
「ぼ、坊ちゃんは、どうぞ組長とごゆっくり!!」
「え〜、つまんないじゃん。大勢で風呂に入れるって楽しみにしてたのに〜!」
そんな場外での無言のやり取りには全く気付かない楓は、盛大に喚いては組員達の顔色を青くさせていた。
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