夕方6時半ー



 それぞれの自由時間を堪能していた日向組の一行は宴会場にやってきた。
食事は皆揃って・・・・・。代々の組長達の方針を守っている雅行はそう言ったが、組員達も2、3人での寂しい食事よりも大勢
の仲間と一緒の方が楽しいし、なによりも楓というオプション(こういう言い方を雅行や伊崎の前では絶対に出来ないが)付きなの
だ。
 湯上りの楓・・・・・その楓の姿見たさに早々に宴会場にやってきていた組員達は、楓がやってくるのを今か今かと楽しみに待って
いた。



 「なんだ、早いな」
 午後6時半少し前、先ず襖を開けて雅行が入ってきた。
まだ20代ながら組長という地位にいる雅行は、旅館の浴衣といえども悠然と着こなしている様はやはり貫禄がある。高級旅館
であるので浴衣も濃紺の肌触りのいいもので、組員達は自分達の頭に立つ人間の立派さに思わず賞賛の視線を向けた。
 続いて現れたのは、若頭の伊崎だ。
その容姿は女と見紛うばかりに綺麗に整っているが、組員達はその容姿に誤魔化されはしなかった。
組の中でも飛び抜けて頭が切れ(何しろ大学院にまで進んでいたくらいだ)、こうと決めたことには全く容赦をしない行動力と冷酷
さも併せ持っている。
 口が悪い同業者などは《日向の夜叉》とも呼んでいるらしいが、伊崎がキレる事はほとんど無く、それは幼い頃から世話をして
いた楓に何かあった時くらいだ。
普段の伊崎はヤクザといわれても首を傾げるほどに穏やかで理知的な人物だった。
 「楓さん」
 その伊崎が、襖の向こうを振り返って声を掛けた。どうやらこの向こうに楓もいるらしいと皆ワクワクしていたが、当の楓はなかなか
姿を現さない。
 「・・・・・やだ」
 「よく似合ってらっしゃいますよ」
 「どうして俺だけこんなのなんだよ!」
どういう理由からか・・・・・楓のご機嫌は斜めのようだ。
 「楓さん、皆待ってます」
 「そうだぞ、楓、来い」
 「・・・・・」
 伊崎だけではなく兄の雅行にも名前を呼ばれた楓は、
 「もー!」
凄く不本意なのだと言葉で表しながら襖の向こうから姿を現した。



 「!」

 それまでざわめいていた宴会場が一瞬にして静まり返ったことに、伊崎は苦笑を漏らす以前に拙いと思ってしまった。
(やっぱり・・・・・着替えさせた方が良かったか)
 「なんだよ!皆文句があるのかっ?」
そう言って仁王立ちになっている楓は、他の男達が着ている濃紺の浴衣とは違い、色鮮やかな臙脂色の浴衣を着ていた。無理
矢理に胸元は合わせているが、どう見てもそれは女物の浴衣だった。
 「恭祐っ、どうして浴衣を確かめなかったんだよ!」
 「・・・・・すみません」
 もちろん、旅館側もこの一行が男ばかりだというのは知っていただろう。ただ、実際に楓の容姿を見ると、地味過ぎる濃紺の浴
衣では勿体無いと思い、この鮮やかな色の浴衣も一緒に用意したに違いなかった。
2つの色の浴衣の、この臙脂の方を選んだのはもちろん偶然だろうが、温泉から上がって浴衣を身にまとった楓はそこで初めてお
かしいと気付いたらしい。
日常でも着物を着る機会がある楓はそれが女物と分かって、とりあえず裸で戻るわけにもいかずにそのままそれを身に着けて部
屋に戻ってきた。
 部屋に帰って直ぐ着替えるつもりだったが、雅行があまりにそれが楓に似合っているのでそのまま着ていろと言ってしまい、そこで
少し兄弟喧嘩のようなものがあったのだが・・・・・。
(もう集合の時間が迫っていたからそのまま連れてきたが、失敗した、か)
 「・・・・・兄さんっ、挨拶!」
 むくれてしまっている楓はそのままズカズカと上座に座り、兄をじろっと睨んで促した。
そんな視線は全く怖くもなんとも無い雅行は、ゆっくりと仲居が注いでくれたビールのコップを持ち上げる。
 「皆、何時もご苦労。今日は思い切り飲んで騒げ、誰も止めないからな」
 「はい!」
 「じゃあ、乾杯!」
 「乾杯!!」
いっせいにグラスが掲げ上げられ、ようやく日向組の宴会が始まることになった。



(もうっ・・・・・兄さんは絶対俺で遊んでる!)
 今だ腹が立つものの、そこは楓も日向組の組長の弟だ。
何時までも不機嫌な顔はしていられないと思い、先ずは目の前の料理に視線を向けた。
山の幸と海の幸、そして郷土料理と、さすが値段が張る旅館だけの事はあって料理の品数も見た目も満点だ。
(味は・・・・・)
パクッと刺身を口にすると、自然と頬に笑みが浮かんだ。
(合格)
肉はもちろん好きだが、魚も結構食べる楓は、その刺身の新鮮さに満足した。この分では多分他の料理も期待出来るとそのま
ま箸を進めれば、どれもこれも十分合格点をあげられるものばかりだ。
熱い物は熱く、冷たい物は冷たい。
先ずその基本は守られているし、煮物は出汁がよく効いていて、焼き魚の塩加減も絶妙だ。
 「美味いか?」
 普段はあまり酒を飲まない雅行も、今日ばかりは杯が進んでいるようだ。
上機嫌な兄の顔に、楓も先程までの不機嫌さをすっかり忘れて言った。
 「美味しい!兄さんも飲んでばかりじゃなくて食べたら?」
 「ああ、頂く」
 「もうっ、言葉だけでしょ?ほら、あ〜ん」
楓は絶品の鯛の刺身を雅行の口元に持っていく。
兄弟の気安さからか、雅行も少しも躊躇わずに口を開いてそれを食べた。
 「どう?」
 「うん、美味い」
 「ね?」
 まるで自分が調理したかのように自慢げに笑った楓は、なぜか惚けたようにこちらを見ている組員達に笑いながら言った。
 「ほらっ、皆も食べろって!」
 「は、はい!」
 「・・・・・」
(何声が上ずってるんだ?)
一瞬首を傾げたが、そんな細かなことを何時までも考えている方が勿体無い。
楓は直ぐに意識を切り替え、自分の右隣に座っている伊崎の前にずっと席を移動した。
 「恭祐」
 「はい」
 「あ〜ん」
 楓は、にっと笑って伊崎の口元に里芋の煮物を差し出した。
 「楓さん・・・・・」
 「ほら、あ〜んは?」
普段の伊崎のキャラクターからして、これがどんなに途惑う行為なのか楓は十分知っている。
その上で、浴衣の意趣返しではないが、皆の前で伊崎のうろたえた姿を見たかった。もちろん、伊崎がすみませんでしたと謝れば
この手は引くつもりだ。
(どうする?恭祐)
 2人の一挙一動を組員達は息を飲んで見つめている。組長である雅行も面白そうな目線を向けていた。
 「きょーすけ?」
 「・・・・・」
 「あ・・・・・」
思わず、楓は声を上げてしまった。伊崎が口を開けてそのまま里芋を口にしたのだ。
 「恭祐・・・・・」
 「美味しいですね。楓さんが食べさせてくれたので尚更」
 「!」
にっこりと笑ってそう言った伊崎に、楓は自分の顔が見る間に赤くなっていくのを自覚した。
(くそ・・・・・っ、恭祐のくせに!)