翌日・・・・・二泊三日の旅行の中日は、自由行動だった。
好んで観光地に行く者はおらず、宿の近辺の土産物屋や、ちょっとした散歩に出掛ける者がほとんどだ。

 「・・・・・」

雅行は部屋でのんびりと過ごすことを選択し、静かな木のざわめきや時折聞こえてくる鳥の鳴き声を聞いている。
(全く・・・・・宥められたのか?)
部屋の中には自分以外には誰もいなかった。にぎやかで華やかな存在は、今はどこにいるのだろうか。
雅行は口元に苦笑を浮かべると、そのままゆっくりと目を閉じた。

 「・・・・・」

 そして。

 「楓さん」
 「・・・・・」
 「楓さん、何を怒ってるんですか?」
 「何を怒ってるかって、お前そんなことも分からないのかっ!」
 ずんずんと口を引き結んで修善寺の境内を歩いていた楓は、まるで子供に言い聞かせるような伊崎の言葉に、きっと眉を顰め
て振り返った。
怒っていることが直ぐに分かる表情だが、楓はそんな顔も綺麗だった。笑っている姿は大輪の薔薇のように華やかで美しいが、怒
りを湛えたその姿は、凛としなやかな若竹のような清々しさがある。
結局、楓はどんな時もどんな表情も綺麗なのだと、伊崎は内心しみじみと感じながら、怒りに燃える楓の視線を真っ直ぐに受け
止めた。
 「お前が起こしてくれないから!」
 「夕べはぐっすりお休みだったので」
 「そんなのっ、起こしてくれれば良かったじゃないか!せっかくの夜を無駄にしてっ、俺っ、俺、昨日は恭祐とセックスするつもりだっ
たのに!」
 「楓さんっ」
 いくら周りに誰もいないとはいえ、あからさまな言葉をはっきり言う楓に伊崎はきつく言う。
 「こんな場所で、はしたないと思わないんですか?」
 「だ、だって!」
 「・・・・・」

 楓は、夕べ宴会で眠ってしまった自分をそのまま部屋に連れて行って寝かせた伊崎の行動を怒っていた。
その理由は・・・・・まあ、はっきり言えば伊崎との夜の時間を過ごせなかったということなのだが、あの場で楓を起こすことの方がど
んなに不自然なことか、少し考えたら分かるだろうが、今の楓に何を言っても火に油を注ぐようなものだろう。
(俺だって残念だと思っているが・・・・・)
 旅先で、少しだけ開放された気分になっているのは伊崎も同様だった。
それでもその気持ちを抑えているのは、誰でもなく楓の為だ。
 「楓さん、俺は・・・・・」
 「分かってる!恭祐がみんなにばれないようにってしてるのは、俺と付き合っていることが恥ずかしいってわけじゃなくて、俺の為を
思ってくれてのことだって!」
 「・・・・・」
 「それでもっ、悔しいことは悔しいし、俺は自分の気持ちを押し殺すなんてこと嫌いだから!」
 「・・・・・」
(楓さんらしい)
 「・・・・・何、笑ってるんだっ」
 「笑ってますか?」
 自分では自覚していなかったが、伊崎は楓のその行動に笑みを漏らしていたらしい。
それを指摘されて、思わず不思議そうに聞き返した伊崎に、楓は何を言ってるんだというように叫んだ。
 「笑ってる!」
それならば、それは自分が愛している人に愛されているという幸せを感じている為だと、伊崎は更に深い笑みを浮かべてしまった。



(何笑ってるんだよっ)
 自分を見つめながら笑っている伊崎を見て、楓はますます怒りが燃え上がりそうだった。
(夕べは、久しぶりに恭祐に抱きしめてもらうはずだったのに・・・・・っ)
家にいれば、嫌でも周りのことが気になった。
いや、楓としてはたとえ家族に伊崎との関係を知られたとしても構わなかったが、日向組の若頭という立場の伊崎はそんなに簡
単に気持ちを割り切れないようだった。
楓の気持ちはもちろん、父や兄、そして組の者までも気遣う伊崎。そんな彼の優しさはとても好きだが、若い楓にとってはじれった
くて仕方が無い。
 「恭祐は俺を抱きたくないわけっ?」
(俺はそんなに魅力がないってことっ?)
じっと睨む楓に、伊崎は直ぐに答えてくれた。
 「抱きたいですよ」
 「そ・・・・・っ」
(い、いきなり、そう言うなんて・・・・・)
 自分で聞いたくせに伊崎がはっきり言葉でそう言うと、楓は自分の頬が熱くなってくるのが分かってしまった。
自分で言うのは構わないが、伊崎から面と向かって言われると恥ずかしくてたまらないのだ。
 「楓さん、今夜、攫ってもいいですか?」
 「・・・・・!」
 「組長を、騙せますか?」
 「・・・・・」
 「楓さん」
 「・・・・・出来る!」
 「いい子ですね」
伊崎は手を伸ばすと、ギュウッと強く楓を抱きしめてきた。



 本当はこの旅行で楓に手を出すつもりは無かった。
今回はあくまでも組の慰安旅行で、自分と楓2人きりの旅行ではないのだ。
(ここまで言われて・・・・・動かない男がいるか?)
しかし、こんなにも激しく愛しい相手に求められ、それでも目を逸らし続けられる男がいるだろうかと思う。
 「・・・・・兄さん、どうする?」
 「組長には酔いつぶれてもらいましょうか」
 「あんなにお酒強いのに、つぶれるまでなんて相当飲ませなきゃなんないじゃん。そんなの身体に悪いよ」
 「それでは、楓さんがおねだりするしかありませんね」
 「おねだり?」
 「伊崎の所で寝たいんだって、正直に言うしかありません」
 普通に考えれば、兄のように慕っている伊崎と一緒に寝たいと言ってもおかしいことではないだろうが、薄々自分達の関係に気
付いているような雅行はその言葉をどう捉えるか・・・・・伊崎にとってもそれは賭けの様なものだった。
せめて楓が成人するまでは2人の関係は内密にするつもりだという考えには変わらないが、それまでに少しずつ、せめて雅行にはそ
の可能性を考えていてもらった方がいいかもしれない。
実際に楓と自分が恋人同士だと知って、雅行がどういう態度に出るかは想像がつかないが、何があっても楓の味方にはなってい
て欲しい。
(その為にも・・・・・)
 「言えますか」
 「う、うん」
 「大丈夫?」
 「大丈夫・・・・・かなあ」
 楓は伊崎の腕の中で顔を上げた。
 「恭祐はどう思う?」
 「きっと、大丈夫だとは思いますよ。組長は楓さんには弱いですから」
 「・・・・・そうだよね」
 「・・・・・」
(可愛い・・・・・もう少し、俺を疑ってもいいんですよ、楓さん)
好きという気持ちで、伊崎の全てを無条件で信じている楓に、自分は見えない罠を仕掛けている。
このまま成長し、どんどん世界を広げていく楓の視界を意識的に狭め、自分以外を見ることがないようにと、ずるい大人の策略を
巡らしている自分を、楓はきっと少しも疑うことは無いだろう。
(可哀想に・・・・・)
 「恭祐?」
 「・・・・・せっかくここまできたんですからお参りしましょうか」
伊崎は楓の肩を抱くと、すっかり機嫌が直った楓と共にゆっくりと歩き始めた。