指先の魔法



11






(「マコ、お前強制送還だ。明日まで休みやるから、ゆっくり体を休めろ」)


 バイト先のチーフにそう言われ、真琴はまだ陽がある内にアパートに帰った。
鍵を閉め、一人の空間になるとやっとホッとする。
 「・・・・・参ったなあ、まだ体が動き辛い・・・・・」
 悪夢の夜から5日、真琴は今だにショックを引きずったままだ。
あの夜、海藤に言いつけられた綾辻の手を、真琴はとうとう最後まで拒み続けた。誰かの手を体に感じるのが怖くて仕方
なかったのだ。
かろうじて体を拭って貰いはしたが、後始末というものは全て拒否した。
 「薬、塗らなきゃ・・・・・」
 海藤が体の中で吐き出したものが原因なのか、あれから2、3日腹をこわして、幾度もトイレにこもることになったが、傷の
せいで用を足すのも辛くて涙を流す日々だった。
 頑としてバイクで帰るの一点張りだった真琴に、女性用の生理用品を差し出したのは倉橋だ。
念の為に用意したものだというそれの使い方を聞いた時、真琴は恥ずかしさで死にたくなった。本来なら男の自分が使用
するものではないそれを、手にするだけでも嫌だった。
 しかし、倉橋は事務的に、付けなければ腹の中に出された海藤の精液が零れ落ちるだろうということと、出血がしばらく続
くであろう事を説明した。
選択肢は・・・・・無かった。
 就業時間をはるか過ぎて、バイクを押しながら帰ってきた真琴に、心配して店に残ってくれていた者達は驚き、バイクでこ
けてしまったという真琴の言葉を聞くと、無理に配達させたからと謝り心配してくれた。
病院に行く事を進められたが大丈夫だと何とか断り、2日の休みを貰ってアパートにたどり着いた時、ベットにうつ伏せになっ
たまま真琴は泣いた。
泣き喚きたいのに、傷が体に響いてそれも叶わず、疲れきった体が強制的に眠りに落ちるまで、ただ涙を流し続けた。



 帰り際、無理矢理倉橋に持たされた薬は、今思えば病院や薬局に行くことの出来ない真琴にはかなり役立った。
ベットの上、冷たい薬の感触に耐えて塗る。そこがどんな風になっているのか怖くて今だ見ることはないが、幾分痛みも和ら
いだ気がした。
 結局昨日まで学校もバイトも休み、今日やっと出勤したものの、あまりの顔色の悪さに早退させられてしまった。
心配されて申し訳ないと思う反面、その優しさが嬉しかった。
 「古河先輩に電話しようかな」
 一人暮らしになってからの癖で、思わず声に出して独り言を呟いた時、来客を告げるブザーが鳴った。
 「あ」
 心配していた古河が様子を見に来てくれたと思った真琴は、嬉しくて駆け寄りたいのを我慢し、ゆっくりと重い体を引きず
りながら玄関まで行くと、誰かを確かめずにドアを開いた。
 「あ・・・・・」
 「元気そう、じゃ、ないわね」
 立っていたのは綾辻だった。
ハッとしてドアを閉めようとするが、それは俊敏な動きにはならず、綾辻は身軽に部屋の中に入ってきた。
 「なんだ、綺麗にしてるじゃない」
 「か、帰って下さい・・・・・っ」
 あの夜を連想させる人物だというだけで、真琴の体は恐怖に震えてしまう。自分のテリトリーの中まで侵されたようで、早
く見えない場所に行ってほしかった。
 しかし、綾辻は苦笑を浮かべたまま、部屋から出て行こうとはしなかった。
 「お寿司もってきたわ。大丈夫、刺激の無いようにワサビ抜きにしてもらってるから」
 「帰って下さい」
 「傷の方も見せて。ちゃんと薬塗ってる?」
 「帰って下さい!」
 悲鳴のような声に、綾辻は言葉を続けた。
 「このまま私が帰れば、今度は社長本人が来ることになるけど?それでもいいの?」
 「あ、あの人が・・・・・?」
途端に真琴は口を噤んだ。今この状態で海藤に会うなど自殺行為だ。
 「さてと、まずは傷の方からね」
もう、真琴は抵抗しないだろうと確信し、綾辻はにっこり華やかに笑い掛けた。