指先の魔法



12






 見かけとは違い綾辻はマメな性格らしく、止める真琴を無視してベットのシーツを取替え、食事の用意をしてくれた。
傷の様子を見るというのは冗談らしく、真琴の傍には不用意に近づいては来ない。
気を使ってくれる綾辻に、真琴は罵倒する言葉が見付からなかった。
 「はい、ここのお寿司はネタが新鮮で美味しいの。マコちゃんもきっと気に入るはずよ」
 「・・・・・」
 「ほら、食べて」
 狭いアパートでは距離をとることも出来ず、小さなテーブル越しに向かい合った真琴は、綾辻から目を逸らしながら小さく
呟いた。
 「・・・・・ありがとうございます」
 本来なら、あの凶行に手を貸した者として忌み嫌うであろう自分に対しても礼が言える真琴に、綾辻は本当に嬉しくなっ
て笑った。
 テレビの音もしない静まり返った空気の中、箸を握り締めたままだった真琴は、やがて思い切ったように顔を上げた。
 「あの、聞いてもいいですか?」
 「何?」
 「あの人・・・・・海藤さんって、どういう人なんですか?」
 あれ程の事をされたのに、真琴は自分が海藤のことを何も知らないことに今更ながら気付いた。
会ってまだ2度目の、それも男相手にレイプする海藤がどんな男か、知らなくてもいいことなのに、海藤の傍にいる綾辻を
目の前にして真琴は知りたくなってしまった。
 「社長の事を聞かれるかどうか、半々の確率だったけど」
 「え?」
 「社長が倉橋じゃなく私を寄越したってことは、話してもいいっていうことだと思うわ」
 一口お茶を飲むと、綾辻は今までの口調を一変させた。
 「海藤貴士。あの人は関東最大の暴力団『大東組』傘下、『開成会』の三代目組長だ」
 「暴力団の・・・・・組長・・・・・?」
綾辻の言葉を繰り返したが、真琴はなかなかピンとこない。
 「そう。でも、どちらかというと、ヤクザっていう言葉の方が気に入ってる」
 「やく・・・・・ヤク、ザ・・・・・!」
 その瞬間、頭の中にようやく言葉が届いたかのように真琴は叫んでしまい、思わず箸を落としてしまった。
今まで自分の身近には全くいなかった存在・・・・・その言葉だけで恐怖の対象になる存在。海藤がそうだと聞いて、驚きは
したものの、心のどこかで納得も出来た。
しかし、、次に湧き上がったのは純粋な疑問だった。
 「ど、どうして、俺を?全然、何の・・・・・」
 「確かに、君は社長にとって何のメリットも無い。俺達の世界の事は知らないだろうが、あの若さでかなりの実力者、その上
あれ程の容姿だ。女も、仮に男でも、選び放題だし、実際今までそうだった」
 「・・・・・」
 「俺も初めて見た。社長が暴力で誰かを抱くところを」
 「そ、そんなこと・・・・・」
 「あんなに余裕がないなんて、あの人も人間だって思ったよ」
 「・・・・・」
 言外に特別な存在なんだと言われているようなものだが、嬉しいという感情は無く、むしろ戸惑いの方が大きくて、真琴
は再び俯いてしまった。
そんな真琴に、綾辻は言葉を続けた。
 「君がどうしたいとは聞いてあげられない。社長が欲しいと決めたんだ」
 「そんなのっ」
泣きそうに顔を歪める真琴に、綾辻は宣告する。
 「あの人から逃げることは出来ないよ」
 「・・・・・」
 体全体が凍るほど冷たくなった。どうして自分が・・・・・そう訴えようにも、目の前にいるのはあの男の方側の人間だ。
暴力団が相手では、家族にも、友達にも、助けを求めることなど出来ない。
 「どうして・・・・・どう・・・・・して・・・・・」
何時までも呟き続ける真琴を、綾辻はただ黙って見つめていた。