指先の魔法
13
綾辻が帰り、随分長い間そのまま座り込んでいた真琴は、何時の間にかベットに寄りかかる格好で眠っていた。
気付くと既に夜は明け、持って来てくれた上等な寿司も乾いてしまい、色も変わってきている。
「・・・・・」
昨日からずっと色々と考えていたはずだったが、今こうしていると結局何の考えも浮かんでいなかったことが思い知らされた。
「あたた・・・・・」
無理な体勢だったのか、身体はあちこちが痛みを訴えていたが、真琴は思い切って立ち上がると風呂場に向かった。
熱いシャワーを頭から浴び、軋む身体を誤魔化しながら服を着る。その間ずっと頭の中を駆け巡っていたのは、『家族の
顔が見たい』という思いだった。
とにかく、一度実家に帰って、考えようと思った。相手はヤクザだが、方法はきっとあるはずだ。
少しの荷物を手に、逃げるように部屋のドアを開けた。
「!」
まだ、時間は午前6時前だ。
しかし、部屋の前には数人の男がいた。
「おはようございます」
黒ずくめの男を3人従えた倉橋が、古びたアパートに到底似つかわない上等な背広姿で、まるで真琴の進路を塞ぐ様に
立っている。
「く・・・・・倉橋さん?」
「綾辻から、貴方が思い詰めていた様だと聞きまして。もしかしてどちらかに行かれるのかと」
「どちらかって・・・・・」
「ご実家のお父様は、そろそろ出勤なさる時間ですね。お兄様方も八百屋さんとパン屋さんですか、朝早いご職業で」
「か、家族のこと、調べたんですか?」
「何かするというわけではありませんよ。ああ、弟さんは今日遠足だそうですよ」
真琴の手から滑り落ちた荷物を取り、倉橋は穏やかに続けた。
「今日から、お住まいを変えて頂きます。学校はもちろん通って頂いて結構ですが、バイトの方は辞めて頂きますね」
「やっ、やです!」
思わず叫んでしまった。
「あのバイトは続けますっ。自分で見つけて、今まで頑張ってきたんです!」
「しかし」
「勝手に俺のこと、決めないで下さい!」
「・・・・・それならば、貴方が直接社長に言ってください」
あくまでも海藤の意思が最優先な倉橋の、それが最大の譲歩だった。
「今から、これから貴方の住む場所に向かいます。社長もいらっしゃるはずですから、希望があれば直接お話下さい」
行かない・・・・・という選択はないのだと、真琴は淡々と頷いていた。
家族の事まで調べられていたのは相当ショックだった。
もし、自分が逃げれば、家族に何かされるのかと思うと、逃げることは絶対に出来ない。
しかし、そこまで追い詰められ、真琴は反対に抵抗しようとする気持ちが生まれた。どうせ逃げられないのならば、最大限
自分に有利な条件にしなければならない。
そこまで考えると、少しだけ落ち着くことが出来た。
「こちらです」
真琴の内心の葛藤に気付いているのかどうか、倉橋は車内では無言だった。
そして、真琴のアパートから30分ほどした所で車は止まった。
「・・・・・ここが、海藤さんの家なんですか?」
「ご自宅とはいえませんが、所有している物件の一つです」
「そ、そんなにいっぱい家があるんですか?」
純粋な質問に、倉橋も頬に笑みを浮かべる。
「ここが一番条件がいいんです」
「あの、じゃあ、海藤さんの家族が住んだ方が・・・・・」
「社長は独身です」
「え?モテそうなのに?」
その言葉に、倉橋は思わず吹き出してしまった。
綾辻の話で、真琴は既に海藤の正体を知っているはずだ。そのうえで、普通の感覚でその存在を捉えているのが面白かっ
た。
(あんなに怖がっていたはずなんだが・・・・・)
いい意味で、若者の特権である回復力が、真琴の心にも影響したのかも知れない。
「そう言って差し上げたら喜びますよ」
その変化が、倉橋には新鮮だった。
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