指先の魔法
15
真琴が不本意ながらも海藤と同居(?)を始めて10日程経った。
ヤクザだという海藤がどういう仕事をしているのか、真琴のイメージでは日本刀を振り回したり、拳銃を撃ったり、夜の街
を威張って歩いてたり・・・・・ほとんどテレビや映画のイメージしかないので想像もつかないが、朝は9時半頃出掛け、夜は
用がなければ午後10時頃には帰り、真琴のバイトがある日は店の近くまで車で迎えに来てくれた。
始めは逃げないように見張る為かと思っていたが、車の中でも、マンションでも、頻繁に電話で指示を出している姿を見
ていると、忙しい時間を割いて傍にいてくれているのに気付いた。
「お、おはようございます」
「ああ」
帰って来なかった日は2日。出張だからと、代わりにバイト先に迎えに来てくれた綾辻が教えてくれた。
他にも、海藤には今特定の女性はいないとか、夜の接待は元々受けない主義とか、なぜか異性関係のことばかり教えて
くれる。
(「今はマコちゃんだけしか見えてないのよ。純愛だと思わない?」)
そう迄言われ、真琴はなんと答えていいか分からなかった。
「今日は一時限から授業だろう。早く顔を洗って食べろ」
「は、はい」
そして、次に驚いたのは、海藤が料理上手だということだった。
専業主婦の母親がいた為、真琴は1人暮らしを始めるまで全く家事が出来なかった。今も洗濯や掃除は何とかこなすよ
うになったものの、料理だけは苦手で弁当や惣菜の世話になることが多かったくらいだ。
マンションでの初めての朝を迎えた時、食卓に並んでいた朝食を見て一瞬固まった真琴は、思わずキッチンに誰かいるの
かと振り返ったくらいだった。
(「これ・・・・・海藤さんが?」)
頷く海藤に、真琴は辛うじて嘘と叫ばなかった自分を褒めたかった。
朝はオレンジジュースか牛乳しか飲まなかった真琴の食生活は、海藤のおかげで180度変わった。
「あ、卵焼き、甘い」
「・・・・・」
母親の卵焼きは甘いと、昨日綾辻に話したばかりだ。
何時もなら出汁の効いた、料亭で出るような上品な味の卵焼きが、今日は子供が好むような甘さだ。
「・・・・・海藤さん」
「遅くなるぞ、早く食べろ」
「・・・・・はい、いただきます」
きちんと両手を合わせて言うと、リビングのソファに座って新聞を開いていた海藤が、顔を上げて頷いた。
些細なことだが、誰かと一緒に暮らしているんだと実感する。
「おいしっ。この卵焼き、母さんのに負けてないですよっ」
「・・・・・」
「お味噌汁も赤出汁。嬉しい」
「黙って食べろ」
「は、はい」
端を動かしながら、真琴はチラチラと海藤に視線を向けた。
(こうしてると、弁護士とか、やり手のエリートって感じなんだけど・・・・・)
軽く流してセットした髪、フレームスの眼鏡、上等な生地の背広・・・・・一見してヤクザというよりも、弁護士や検事等の
知的な職業についているように見える。
しかしその眼差しはきつく鋭く、圧倒的なオーラは只者に見せない。
(ご飯食べさせてもらって、家賃も払わなくって、俺だけいい思いしてるかも・・・・・。いいのかな)
海藤は真琴を抱いていなかった。
同じ夜を、同じベットで過ごしたが、あの夜の記憶が今だ鮮明な真琴は、海藤が身体に触れただけでビクッと身体を硬直
させてしまう。
そんな時海藤は、そっと真琴の頬に手を触れ、そのまま抱きしめて眠った。
長い指先が触れるたび、真琴の恐怖心は少しだけ薄れていくような気がする。
(まずいよ、俺、まだ女の子とデートだってしたことないのに、相手が男なんて・・・・・あ、ヤクザだし)
過保護な兄達のせいで、この歳でまだ未経験だった真琴だ。
しかし、初めての相手が男だと知ったら、兄達はどうするだろうか・・・・・想像するだけで怖い。
「真琴、時間」
「わ!」
ぼんやりと考え込んでいた真琴に、何時の間にかすぐ近くにいた海藤が声を掛けた。
慌てた真琴が立ち上がると、海藤は軽く頭を叩いた。
「片付けはいい。早く支度しろ」
「すみません!」
不本意に始まった同居だが、真琴は徐々にその生活に慣れていた。
そして海藤に対しても・・・・・。
「・・・・・」
海藤はじっと自分の手を見つめる。
(・・・・・逃げないな)
自分を傷付けた手を拒まなくなったことに、当の本人はまだ気付いていなかった。
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