指先の魔法



16






 カチッとオートロックの外れる音を聞いた真琴は、パジャマ姿のまま慌てて玄関まで出迎えに行った。
今日は報告することがあったので、眠くてソファにうずくまりそうになりながらも辛うじて起きていたのだ。
 「お帰りなさいっ、実家に電話しました!」
 深夜12時近く、何時もより少し遅く帰ってきた海藤は、いきなりそう言って駆け寄った真琴を見下ろした。
 「今日?」
 「私がお勧めしました」
海藤の後ろに控えていた倉橋に気付き、真琴はペコッと頭を下げた。
 「電話して良かったです。荷物が2回も相手先不明で戻ってきたって心配してました。慌しかったから、アパートに行かな
かった俺も悪いんですけど」
 真琴の言葉に、海藤と倉橋は一瞬視線を交わした。
真琴の住んでいたアパートは既に海藤が買い取り、後一週間もすれば解体されることが決まっている。真琴に帰る場所
を与えない為だったが、今真琴は自然に『アパートに行く』と言った。
無意識の内にここが自分の家だと認識している真琴に、倉橋は静かに首を横に振った。
 「私は社長のご意見を代弁しただけですから」
 「海藤さんが?」
 感謝の色を込める目で見つめられ、海藤は薄く微笑む。
 「一応未成年者だしな。何と言ってた?」
 「どうして引っ越したかって言われた時、すごく困りましたけど・・・・・何とか誤魔化しました」
 「何て言ったんだ?」
 「え〜と、バイト先のお客さんが俺を気に入ってくれて、お金持ちだから部屋も広くて、家賃もいらないから空いてる部屋
に来いって言われたって」
 「・・・・・それは・・・・・」
 「いかにも怪しい理由に聞こえますね」
誤魔化すというよりほとんど事実を言っているもので、誰が聞いても多分に怪しい理由だ。
海藤も倉橋も、さすがに直ぐに言葉が出なかった。
 「・・・・・それで、何も言われなかったのか?」
 「お兄ちゃん達なら煩かったかもしれないけど、電話に出たのが父さんだったから。いい人がいて良かったねって喜んでまし
た。浮いた家賃は貯金しとくんだよって言われましたよ」
 「・・・・・お前は父親似だろ」
 「わかります?よく似てるって、みんなに言われます」
一つ心配事が減った真琴は上機嫌だ。
 そんな真琴に、海藤は背広を脱ぎながら言った。
 「明後日から中国に行くことになった」
 「え?」
 「二日程向こうにいる予定だ。綾辻は連れて行くし、倉橋は俺の代行を勤めてもらうことになるから、明日からお前には
別の人間を付ける事にする」
 「出張ですか・・・・・」
途端に淋しそうに声を落とす真琴に、海藤は続けて言った。
 「明日の夜、抱くぞ」
 「は?」
 一瞬言葉の意味が解らなくて、真琴は思わず聞き返してしまった。
 「今、なんて?」
 「明日、セックスすると言ったんだ」
 「せ・・・・・せっくすって・・・・・!」
ようやく理解した真琴はたちまち頬を紅潮させた。
 「く、倉橋さんだっているのに!」
 「私のことはお気遣いなく」
 「・・・・・だ、そうだ」
 「だっ、だって、急に、そんな・・・・・」
 暮らし始めてから、海藤はセクシャルな空気を感じさせなかった。触れる手も腕も、あれ程凶暴な欲望をぶつけてきた相
手なのかと思うほど優しくて、真琴は何時しかその長い指が触れるのを待っているようになったくらいだ。
(それがっ、急に、せっ、セックスとか・・・・・)
 混乱してしまっている真琴を見つめ、海藤は腕を伸ばしてその身体を抱きしめる。僅かに抵抗するものの、恐怖で硬直
していた時期は既に過ぎてしまっていた。
 「一緒に暮らし始めて、こんなに長く離れるのは初めてだろ。お前にとって俺がどういう存在か、きちんと解らせておかないと
な」
 「で、でも、そういうことって口に出すものじゃないでしょっ?」
 「はっきり言わないと、お前は解らないだろうが。これでも俺は待った方だ。そろそろ食べさせてもらってもいいだろう?」
 「食べるって、俺はご飯じゃないのに・・・・・」
 「飯よりずっと美味いがな」
 「おっ、オヤジ発言です!」
その言葉に、じっと控えていた倉橋がぷっと吹き出した。