指先の魔法










 「ふ・・・・・」
 「クッ・・・・・」
 笑ったのは誰が最初だったのか、何時の間にか部屋の中は笑い声に包まれていた。
一番大きな声なのは目の前にいる男だったが、傍に控えていた倉橋も小さく吹き出していたし、他の男達も肩を震わせて
俯いたまま笑うのを耐えている。
その反応に、真琴はハッとして頭を下げた。
 「す、すみません、でも、メリットって、ピザ、ほんとに美味しいから・・・・・」
(馬鹿馬鹿、俺〜、怒られちゃうよ〜)
 しかし焦っているのは真琴だけで、男はひとしきりの笑いが治まった後、目元にまだ笑みを残しながら言った。
 「店の名は?」
 「《森の熊さん》です」
 萎縮してしまった真琴の代わりに、少し笑いを含んだ口調で、それでも十分生真面目に倉橋は答えた。
 「代金払ってやれ」
 「はい」
 「チップもな」
 「はい」
 「ま、待ってください!」
早い話の展開に戸惑っていた真琴は、それでも『チップ』という言葉に反応した。
 「どんな金品も受け取っちゃいけない決まりですからっ」
 「お前の小遣いにしたらいい」
 「駄目です!決まりですからっ」
 「黙ってればいいだろ」
 「俺、嘘下手だからっ、みんなにすぐ分かっちゃいますっ」
 「じゃあ、幾らなら受け取る?」
 「代金の12,000円ですっ」
頑なにそう言うと、受け取らないぞというふうに両手を後ろに隠してしまう。まるで子供の反応に笑みを誘われ、男は倉橋
に頷いて見せた。
今まで男がいったん口に出したことを、たとえ小さなことでも覆すことは無かった。倉橋は内心驚きながらも背広の内ポケッ
トから財布を取り出し、ギュッと唇を噛み締めて半ば泣きそうな目になっている真琴に代金を差し出した。
 「12,000円でよろしいですね」
 「は、はい、ありがとうございます」
震える両手で受け取ると、ウエストポーチを開いて中に入れる。慌てているのか、札の端が少しだけ外に出たままだった。
 「・・・・・帰ってもいいですか?」
 一刻も早く部屋を出たくて、真琴はすがるように倉橋を見つめる。倉橋はいったん男を見た後、傍にいた別の男に言った。
 「下まで送ってさしあげろ」
 「だ、大丈夫です、一人で・・・・・」
 「どうぞ」
 当然のように真琴の言葉より倉橋の言葉の方を取った男は、軽く真琴の背を押して促した。
これ以上反抗して帰れなくなるのもと思った真琴は戸惑いながら部屋を出ようとしたが、ハッと思い出したように振り返って
言った。
 「あのっ、あの人っ」
 「あの人?」
 「もう、酷いことしませんよね?約束しましたよね?」
 「・・・・・ああ、あれか」
 すっかり女の存在を忘れていた男は鷹揚に頷いた。
 「約束だからな」
 「ありがとうございます」
ペコリと頭を下げ、真琴は今度は素直に部屋を出て行った。



 「ごくろうさまでした」
 「こ、こちらこそ、ありがとうございました」
 部屋を出た時、外にいた男達が真琴の後ろにいる男を見て慌てたように自分達がと申し出たが、一睨みで黙らした男は
そのまままるで守るように下まで来た。
強面の、自分より年上の男に深々と頭を下げられ、真琴も慌てて頭を下げた。
 「お気をつけて」
わざわざマンションの玄関まで送ってくれた男は、直ぐに立ち去ろうとはせず、そのまま真琴の近くに立っている。
急かされているわけではないだろうが、真琴はいつもより数段早くヘルメットを被ってバイクに跨った。
 「あ」
 「何か?」
 真琴はふと思いついたように、エンジンを掛けようとした手を止めて男に言った。
 「あの、部屋に戻られますよね?」
 「・・・・・それが?」
怪訝そうに聞き返す男に、真琴は少し早口に言った。
 「ピザ、いっぱいありますから」
 「は?」
 「皆さんで食べられるんですよね?ちょっと冷えたかもしれないけど、味は絶対美味しいですから!」
 「・・・・・」
一生懸命言う真琴の気持ちが伝わったのか、男はいかつい顔にぎこちない笑みを浮かべて頷いた。
 「ありがとうございます」
 「い、いえ、それじゃ」
 慣れない運転なのか、走り出したバイクはふらつきながら夜の街に消えていく。それを見送る男の胸中は、久々に暖かい
ものが生まれていた。