漸進する籠の鳥
後編
窓の外を流れる景色が、だんだんと変わってくる。
響は窓辺に金魚の入った瓶を置いて、ほらと小さな独り言を言った。
「もう過ぐ東京に着くからね。久佳さんの家に帰ったら、この狭い瓶から直ぐに出してあげる。あ・・・・・その前に金魚鉢買わない
といけない」
(百均に可愛いものあるかな)
いや、可愛いというよりも、西園寺の家の雰囲気に合うものがいいかもしれない。
生き物が嫌いとは聞いたことがなかったが、それでもここ数年ずっと一緒に暮らしてきた間、一度も何か飼うかと聞かれなかった。
居候の立場ということで、響自身も切り出すことはなかったが、泣きもせず、場所もとらないこの金魚ならば、西園寺も飼うのを許
してくれるのではないか。
(駄目って言われたら・・・・・泣きそう)
ホームに立った西園寺は、ずっと新幹線がやってくる方向を見ていた。
既に電光掲示板に案内が出され、アナウンスもされて、到着も間もなくだ。
「・・・・・」
平日の夕方、通勤ラッシュよりは少し早い時間に西園寺のような男が荷物も持たず、ただ立っている様子はかなり目立つよう
だが、本人は他人からどう見られようが全く気にしていなかった。
そんなことよりも、今西園寺が考えているのは、響にどの車両に乗ったのか聞いておけば良かったということだ。どこに乗っているの
か分からないので、ドアが開いて直ぐに抱きしめることが出来ない。
それでも、窓から少しでも顔が見ることが出来たら走ればいい・・・・・そう思い直した時、
「・・・・・っ」
新幹線の到着のアナウンスと共に、遠くからその先頭車両の姿が見えた。
平日といえど、出張のサラリーマンなどで自由席は結構埋まっている。
ここが終点なので乗り過ごすことなどはないが、それでも響は早めに下りる仕度をして、一番近くのドアの前に立った。
「・・・・・まだかな」
自然と口から零れてしまう言葉。
大阪の駅を出た時は寂しいと思っていたはずなのに、今は少しでも早く西園寺に会いたいという思いしかない。
ただ、迎えには来なくてもいいと言ったし、彼が仕事を放り出すことも望んでいないので、実際に帰ってくる西園寺と家で再会す
るのはまだ数時間も後だろうが・・・・・。
「あ」
その時、アナウンスが流れた。
ざわざわと人の気配がして、響の後ろにも下りる人が列を作り始める。
ホームが見えてきて、速度がゆっくりになった時だった。
「・・・・・え?」
思い掛けない顔をそこに見て、響は思わず小さな声を上げてしまった。
「!」
先頭から2番目の入口の先頭に立つ響の姿を見付けた途端、西園寺の足は早足になって動き始めた。
(やっぱり、自由席だったか)
グリーン車で帰って来いと言ったのにどうして言う通りにしなかったのか・・・・・そう思いながらも、そうするだろう響の行動には予想が
ついていた。いや、そうしたことが、変わらない響の性格を知らせてくれるようで、西園寺は嬉しくて思わず口元が緩んでしまう。
「・・・・・」
完全に止まった車両のドアが、僅かな空気音を漏らしながら開いた。
「久佳さんっ」
後ろの人間に押されるようにして下りてきた響は、西園寺が迎えに来ることを全く想像していなかったのか目を丸くしている。
「お帰り、響」
そんな響の子供っぽい表情を見ながら、西園寺は一番に伝えたいことを言った。
「・・・・・」
「響?」
「た・・・・・だ、いま」
大きな目から、ポロッと涙が零れ落ちる。1年前なら、もっと泣きじゃくっていたかもしれないが、自分の感情を抑えることが出来る
ようになったのか・・・・・それでも、その嬉しいという想いは西園寺に十分伝わって、
「お帰り」
西園寺はもう一度同じ言葉を繰り返すと、そのまま響の身体を強く抱きしめた。
迎えに来なくてもいいと言った筈なのに、実際にホームに立っていた西園寺の姿を見た時は嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
「あの、仕事は?」
「小篠が有給をくれた」
「あ・・・・・」
(ごめんなさい、小篠さん)
兄のように頼りになる小篠に掛ける迷惑を考えて、思わず心の中で謝罪した響。
そして、2人はそのまま、駅から直接西園寺の運転する車で家まで戻ってきた。
「・・・・・ただいま」
今日、大阪の寮を出る時に告げたのは別れの言葉だったが、今口にするのは再び戻ってきたことへの挨拶だ。
西園寺の匂いや空気がいっぱいの家をぐるりと見回しているうちに、響の頬には自然と笑みが浮かんできた。
「響、さっきから思っていたんだが」
「え?」
「手に持っているのはなんだ?」
「あ」
西園寺と再会できた嬉しさに舞い上がっていた響は、手に持っていた金魚のことを言うのをすっかり忘れていた。いや、それだけ
ではなく、金魚鉢も買わないまま帰ってきてしまったのだ。
「あ、あの、これ、僕が自分でとったんだ」
「お前が?」
「去年の秋祭りの時、里中さん・・・・・会社の先輩に連れて行って貰った夜店でとったんだよ」
「・・・・・金魚を、か?」
「電話でも言わなくてごめんなさい。でも、あの・・・・・この子達、飼ってもいい?世話は僕がちゃんとするから」
眉を潜めた西園寺の顔を見ると、もしかしたら駄目だと言われてしまうかもしれない。そうなると、近くの川に逃がしてやるしか出
来ないが・・・・・数ヶ月間一緒に暮らしてきたこの金魚達と離れるのはとても寂しい。
(お願い、久佳さん)
(あの男が・・・・・)
西園寺は金魚のことではなく、大阪で会ったことがある先輩だという男と響が、一緒に祭りに行ったことの方が面白くなく、妙に
引っ掛かっていた。
夜店だと言っていたが、そうだとすれば響は夜にあの男と出掛けたということだ。男としてはまだ自分より劣るものの、若さということ
と、傍にいるということを武器に出来た男。響はどのくらいその男に惹かれていたのだろうか。
「・・・・・久佳さん」
心細げな響の声に我に返った西園寺は、じっと響を見た。
1年前の自分だったら、心の中に生まれた疑問を響にぶつけることもなく、自己完結するまで胸の中にしまっていただろうが・・・・・
会えなかった日々のことを思うと、言葉を交わすということの大切さも分かったつもりだ。
若い男に妬いたというのは情けないが、それでも西園寺は今自分が感じたことを響に伝えた。
「あの男のことをどう思っているんだ?」
「あの男?」
「お前の先輩という、あの男だ」
「里中さんは先輩だよ?お兄さんみたいに良くしてくれてっ」
「・・・・・」
「僕の手がこんなんだから迷惑を掛けることもたくさんあって、そのたびにフォローしてくれてたんだ。優しくて、いい人で・・・・・」
「もういい」
「久佳さんっ?」
「お前が他の男を褒めるのは面白くない」
そう言った西園寺は、そのまま響の手から金魚の入った瓶を取った。
(面白くないって・・・・・だって・・・・・)
眉間に皺を寄せ、面白くなさそうな表情をしていても、西園寺は想像していたよりもずっと丁寧な手付きで瓶をテーブルの上に
置いた。
スタイリッシュで、派手ではないがそれなりに値の張る家具の中、百円ショップで買った瓶はあまりにも場違いな感じだ。
それでも、中で泳いでいる金魚は全く気にも留めていないようで・・・・・響は視線を西園寺へと戻した。
「・・・・・」
今の西園寺の言葉を考えたら、信じられないが西園寺は里中に妬いたように聞こえた。西園寺が言うほどに自分に価値がある
とは思わない響だが、それでも大好きな人にそんな風に思ってもらうのは嬉しかった。
「久佳さん」
「・・・・・」
名前を呼んでも、西園寺はなかなか視線を向けてくれない。
以前はそこに自分が入れない壁のようなものを感じて踏み込めなかった響だが、少しは世間に揉まれて強引に出ることも出来る
ようになった。
「・・・・・」
響はゆっくりと西園寺の傍に歩み寄ると、彼の目の前に跪いて下から顔を見つめる。
「久佳さん」
「・・・・・」
「せっかく会えたのに、話せないのは寂しいよ。僕、また金魚の久佳さんと話さなくちゃいけないの?」
「金魚・・・・・?」
「真っ黒の金魚。久佳って名前なんだ。似合ってるでしょ」
笑いながら言うと、西園寺の眼差しがテーブルの上の金魚に向けられ・・・・・次に、響へと戻ってきた。
「あれが俺と一緒か?」
「本物が一番カッコイイよ」
「・・・・・口が上手くなったぞ、響」
そう言った西園寺は、先程までの不機嫌な気配を消すと、そのまま身体を屈めて・・・・・響に唇を寄せてきた。
駅から家に帰ってくるまで緊張していて気付かなかったが、これが東京に戻ってきて初めてするキスだった。
シャワーを浴びたいという響の言葉を無視して、西園寺はそのまま華奢な身体を抱き上げると寝室へと向った。
響が大阪に行ってから、会社や近くのホテルに泊まることが多かった西園寺にとっても、響と同じベッドに上がれば帰ってきたという
実感がある。
「ん・・・・・っ」
相変わらず物慣れないキスを返す響に、こちらの方面は今だ初心な様が笑みを誘う。
西園寺はそのまま手を伸ばして器用にシャツのボタンを外すと、ジーパンからベルトも取った。
「・・・・・っ」
着実に服を脱がされていることを悟った響は嫌々と首を横に振るが、唇を塞がれているので否定の言葉は聞こえないし、元々響
が本当に嫌がっているとは思わなかった。
「・・・・・っあっ、はっ」
口腔内を思う存分味わった西園寺がキスを解くと、響は涙目で恨めしそうに睨んでくる。
「久佳さ・・・・・ん、急ぎ、すぎ」
「お前が俺に追いつくのを待つ余裕がないんだ」
「よ・・・・・ゆ?」
早くお前の中に入りたいんだと耳元で囁くと、響は目元を赤く染めてぎこちなく視線を逸らしてしまった。
それでも否定の言葉を言わないのは、きっと響も自分のことを欲しいと思っているに違いがない・・・・・はずだ。既にジーパンの前
の部分に変化を見て取っていた西園寺は、そのまま緩んだウエスト部分から手を差し入れると、下着の上から響のペニスを刺激
し始めた。
「あっ!」
片手が不自由なためか、それとも元々性欲が希薄な方なのか、西園寺が把握している範囲では響は自慰も頻繁にすること
はない。だからこそ、触れるという些細な刺激だけでも、こんなに顕著に反応を示すのだろうと思えた。
「あっ、あっ」
「響・・・・・」
「ま・・・・・て・・・・・っ」
まだ時間はようやく夕方だが、外は既に薄暗くなっている。西園寺は考えることもなく枕元の明かりを点けて、綺麗な響の身体
をじっくりと見つめた。
「響」
耳元で名を呼べばそれだけで感じるのか、下着がだんだん湿ってくるのが分かる。それと同時に、もぞもぞと響の足が動き始め
てしまい、それがまるで焦れているようにも思えた。
「あっ」
小さな唇が開いて、熱い吐息と喘ぎ声が零れる。
それをそのまま見ているだけでは我慢が出来なくて、西園寺は再び噛み付くようにその唇を奪った。
縮こまる舌を追いかけて絡め、唾液をすすり、舌で口腔内を刺激しながら、手は下着の中へと滑り込む。
「!」
濡れてしまっているペニスは今にも爆発しそうなほどに熱く脈打っていたが、西園寺は手の中で射精させるつもりはなかった。
「響、俺の口の中で吐き出せ」
1年も離れていた響の全てが自分のものだと再確認したい。
そう思った西園寺はキスを止めると、ペニスを握っていない方の手でジーパンと下着を一緒に引き摺り下ろし、面前に晒された震
える細身のペニスを躊躇いなく口に含んだ。
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「漸進する籠の鳥」の後編です。いよいよなはずだったんですが・・・・・終わりませんでした。
次回甘い夜を追加します。