海上の絶対君主





                                                         
※ここでの『』の言葉は日本語です





 『うわ・・・・・本当にテレビみたい・・・・・』
 大きな船から街を見下ろした 珠生は、そこを行き交う人々を見て呆然と呟いた。
黒、栗色、金に赤毛と、様々な髪の色が大勢行き交っていて、ここがかなり人種が入り混じっている街だという事は何となくだ
がわかった。
肌の色は褐色が多く、珠生のような色白な肌は皆無といってもいいようだ。
 暑い気候に合わせるように皆薄着で、女達は肌が透けそうなほど薄いベールをまとっており、その露出の多さに珠生は視線を
どこにやればいいのか困ってしまった。
 「タマ、船から下りたら俺から離れるなよ?お前みたいな美人は、何時誘拐されてどこぞの王族や貴族に売られるか分からな
いからな」
 『馴れ馴れしく肩に触るなよ』
 続々と降りていく船員を見送りながら、珠生は当然のように自分を抱き寄せるラディスラスに視線を向けないまま言った。
どうせ言葉は通じないし、もしも通じたとしても傲慢そうなこの男が自分の行動を自粛するとは思えなかった。
 『俺も降りていいんだよな?早く行きたいんだけど』
 珠生が陸を指して言うと、その意味を感じ取ったのかラディスラスは手に持っていた厚めのベールを、珠生の頭の上からすっぼり
と被せてしまった。
 『なっ、何するんだよ!』
慌ててそれを取ろうとするが、ラディスラスは首を横に振る。
 「黒髪自体珍しいのに、お前の黒い瞳はこの国にはない不思議な色だ。見つかれば必ず狙われる」
 『言ってること分かんないんだけど』
 「タマ、俺の言う事を聞け」
珠生の不満は分かっているだろうに、ラディスラスはベールを被せた頭を強く抑えたままだ。
 『・・・・・とにかく、これを被ってればいいんだな?』
 これ以上争うことも無駄な気がして、珠生はベールをぎゅっと押さえて頷いて見せた。
とにかく、今は大人しくこの男の言うことに従って陸地に下りなければならない。海の上では何も出来ないが、陸地に降り立った
ならばあの海岸にあった洞窟と同じような場所を探しに行けるはずだ。
(途中でこいつを巻かないといけないけど・・・・・大丈夫だよな)



 急に大人しくなった珠生が何を考えているのか、ラディスラスにははっきりとしたことは分からないが、多分何か良からぬことを考
えているのだろうということは察しがついた。
(逃げ出すつもりだろうが、そうはいかないからな)
欲しいと思ったものをみすみす見逃すつもりも無く、ラディスラスは振り返ってラシェルに言った。
 「お前は降りなくていいのか?」
 「したいことも、欲しいものもありませんから」
 「淡白な奴だな。じゃあ、アズハル、行くか」
 「はい」
 一応念の為に医者がいた方がいいだろうと、ラディスラスは医長のアズハルを供に、片腕には珠生を抱いて、久し振りの陸地
に降りることにした。


       


 大きな港街の一つであるここリーズンは、貿易も活発で様々な国から商人や旅人が集まっていた。
食料も水も豊富であったし、旅の途中の男達には必要な・・・・・。
 「あ、お兄さん達いい男〜」
 「ほんと!ねえ、寄ってかない?金なんて要らないわ、うんとご奉仕しちゃうから!」
 「連れがいるんだ、遠慮する」
 「そんな胸の無い子供なんて放っておきなさいよ〜」
 歩く毎に左右から声を掛けてくる娼館の女達。
女達は見るからに逞しく精悍な容貌のラディスラスにうっとりとした目を向け、商売とは関係なく抱いて欲しいと色っぽい視線を
投げてくる。
それは少し神経質そうながらも十分整った容姿のアズハルも同様で、2人はその気はないと断って歩くのさえ一苦労だった。
 ラディスラスの腕の中にいる珠生は、ベールの隙間から覗く目を驚いたように見開いたまま、その様子を見つめている。
驚かせたかと、ラディスラスは心配そうに顔を寄せた。
 「大丈夫か?タマ。人が多いし、疲れたか?」
 「ラディ、どこかで一休みしましょう。彼には暑さもこたえるでしょうし」
 海賊船エイバルの船長、ラディスラス・アーディンの名は広く知られているので、人が大勢いる場所では通称のラディと呼ばれ
るのが常だった。
何時どこで、役人に見つかるかもしれないし、余計な厄介ごとが迷い込むこともあるかもしれない。
多くの部下達を抱えるラディスラスにとっては、何より無益で無用な揉め事は避けるのが常識だった。
幸い、海賊ということと、名前だけが1人歩きしている状態で、厳つく恐ろしいイメージを抱かれていることが多く、ラディスラスの
顔はあまり知られてはいない。
ただ、目立つ容姿と強烈なフェロモンを持っているせいなのか、どこででも女達の目が留まってしまうのは避けられなかった。
 「そうだな、どこか食堂にでも入るか?」
 「あまり港から離れていない場所に・・・・・ああ、あそこにありますね」
 「よし、タマ、もう少し頑張れよ」



 広くがっしりとしたラディスラスの胸の中に抱きしめられるようにして歩きながら、珠生は今まで鼻を圧迫していた女達の甘い香
りからやっと離れられたと思った。
(こいつ・・・・・もしかして女の人を・・・・・?)
 海の男が陸に上がる理由を考えた珠生は、ジワジワと顔を赤くして俯いてしまった。
 『なに、それ・・・・・最低』
縋りつくように男に寄って来た女達は、その腕の中にいる珠生の存在に気付いて凄まじい嫉妬の視線を向けてきた。
大人の女のそんな視線に晒されたことの無い珠生はそれだけでも疲れてしまい、それがラディスラスのせいだと思ってしまった。
(女タラシ、女タラシ、女タラシ)
 やがて、何とか女達を振り切ると、ラディスラスとアズハルは一軒の家に珠生を連れて入った。
狭い家の中に多くのテーブル、そして腹の虫を鳴らすいい匂い・・・・・どうやらここはレストランのような場所らしい。
 「何か食べるか?」
 『・・・・・喉渇いちゃった』
 「肉も魚もあるぞ。食べられない物は?」
 『何か、飲みたい。飲むもの』
 コップを持つ仕草をし、それを口に傾けると、やっと珠生が言いたいことが分かったらしい。
ラディスラスは大きな声で何かを言い、そう時間を置かずして珠生の前に木で作られたコップが置かれた。
 『・・・・・飲んでいい?』
 「飲め、タマ」
 『・・・・・頂きます』
小さく礼を言った珠生は、そのコップを持ち上げた。中に入ってるのは甘い香りとオレンジ色の液体だ。
(オレンジジュース?)
それに近いのかと、恐る恐る口にすると・・・・・。
 『わ・・・・・ブドウジュースみたい、面白い』
見た目とのギャップが面白く、味も十分美味しかったので、珠生はあっという間にそれを飲み干した。
 『もう1杯飲むか?』
 ラディスラスがコップを指差しながら何か言う。多分、おかわりはいるのかと聞いているのだと思い、珠生はコクンと頷いた。
次のジュースを待ちながら、珠生はそれとなく店の中を見回した。
ほぼ満席の店の中はほとんどが男の客で、覗いている腕などは珠生の腿ほどもありそうなほどたくましい。
人種的にも様々な感じで、中には旅の途中を思わせるような大きな荷物を傍に置いている者も多くいた。
(この中に洞窟を知ってる人なんているかな・・・・・)
 しかし、たとえいたとしても、言葉が通じなければ話にならない。
(それでも、船に戻ったらお終いだし・・・・・)
海の上では何も出来ない。珠生は思い切って行動に出ようと思った。



 『い、痛いっ、お腹、痛い!』
 突然腹を押さえ、珠生は苦しそうにその場に蹲った。
 「タマっ?どうした!」
 『痛い、痛いっ』
 「腹痛ですね。急に飲んだのがいけなかったのかも知れない。ラディ、どこかで休ませた方がいいです」
 「船に戻るっ」
 「いえ、船の上では余計に酔って気分を悪くしかねません。数時間でもどこか横になれる場所がいいでしょう」
 たった今、美味しそうに果汁を飲んでいた珠生の急変に、さすがのラディスラスも慌ててしまった。
どうやら自分達とは生まれも育ちも違う珠生が、初めて飲んだであろう果汁に腹を壊したとしても不思議ではなかった。
店の主人に尋ね、食堂からそう遠くない宿に入ると、粗末ながらもきちんとした木の寝台に寝かせてやる。
 「タマ、大丈夫か?」
 珠生は身体を丸め、上掛けの中に潜り込んでしまった。
 「・・・・・どうします、ラディ。あなた、用があるんですよね?」
 「航海の情報を売ってくれる役人に会わなければならないんだが・・・・・」
それは危険な取引でもあるし、他の人間に任せるというわけにはいかない仕事だった。
 「私が付いていますから」
 「・・・・・」
 「ラディ」
 「・・・・・頼むぞ」
動かせない仕事ならば、早く終わらせて戻ればいい。
ラディスラスは上掛けの上から一度ポンッと珠生の身体を叩くと、さっとマントを羽織って部屋から足早に出て行った。



 「タマ・・・・・言葉は分からないかもしれませんが、どうか安心して休みなさい。私が付いていますから」
 優しい響きが耳元で聞こえ、珠生は上掛けの中でキュッと拳を握り締めた。
(・・・・・心配掛けちゃったかも・・・・・)
子供っぽい手段だったかもしれないが、2人の男は珠生の芝居を本気にしてこうして宿のような所に寝かせてくれた。
その時の男の紫の瞳が本当に心配そうに自分の姿を映していたことを思い出し、珠生はこんな卑怯な手を使った自分が恥ず
かしくなった。
しかし、これは自分で作ったチャンスだった。あの男がおらず、この細面の男だけなら何とかなるかもしれない。
 『水、欲しいんですけど・・・・・』
 「何ですか?」
 『あの、飲むもの』
 上掛けから顔を出し、再び何かを飲む真似をすると、青い瞳が優しく笑んだ。
 「何か飲むものですね?今度は温かいものを用意させましょう」
男が部屋から出て行く。
その瞬間、珠生はバッと起き上がって窓を開いてみた。
 『・・・・・無理』
 部屋は2階のようで、ここから飛び降りるなど漫画のようなことは出来ない。
珠生は一瞬だけ考えると、男が出て行ったドアをこっそり開いた。長い廊下には人影はなく、珠生はそのまま廊下に出ると小走
りに走って階段を下りた。
(あ・・・・・)
 少しだけ開いていたドアの影に、男の姿がある。
今のうちだと、珠生は宿から飛び出した。



 『なんだよ、ここ・・・・・男も女もでかい!』
 大学生の自分がまるで子供にしか見えないくらいに、行き交う男も女も大柄な者達ばかりだ。
彼らはなぜか足早に歩く珠生を振り返る。
自分の何がおかしいのかと見下ろしてみるが、服は世話をしてくれた少年の物で質素ながらも普通だった。
(何見てるんだろ・・・・・あっ)
 珠生は慌てて顔を俯かせた。男が被せてくれていたベールを忘れてきたことに気付いたのだ。
行き交う人々は、きっと生白い自分の肌を珍しく見ているのに違いない。
(拙いのか?拙いんだろうなあ・・・・・)
どこか物陰に隠れようと更に足を早めた珠生だったが、
 『!!』
いきなり、腕を掴まれた。
 『だっ、誰!』
 珠生の細い腕を掴んでいたのは、顔中が髭だらけの赤毛の男だった。
男は口元にニヤニヤとした笑みを浮かべて、怯えたように震える珠生を見下ろした。
 「上玉だな。女か?・・・・・いや、男だな。まあいい、男がいいという偉いさんも大勢いるしな。こいつなら高値で売れるだろう」
 『はっ、離せよ!』
 「何語だあ?何言ってんのかわかんねえ」
 『ちょっと!』
 何度腕を振り払おうとしても男の手はピクリともせず、反対に珠生はズルズルと引っ張られてしまう。
どこに連れて行かれるのか、男の怪しい笑みが怖くなって珠生は必死に抵抗しようとしたが、それは子供がむずかるほどにもた
いした抵抗にはなっていないようだ。
 「ラディ!」
 思わず、珠生は叫んだ。
騙して逃げ出そうとしたくせに虫がいい話かもしれないが、今の珠生に縋る言葉はそれしかなかった。
 「ラディッ」
無駄だと思いながらももう一度叫んだ時、
 「うっ!」
 突然、珠生の腕を掴んでいた手が離れたかと思うと、周りがザワッとざわめいた。
 『!』
 「1人でお散歩は危ないですよ、タマ」
端正な口元に笑みを浮かべて輝く長剣を手にしたアズハルが、青い瞳を輝かせながら珠生と男の間に悠然と立っていた。





                                             





もう3話・・・・・。ちょっと、終わる雰囲気がしないんですけど〜(泣)。
次回は、秀麗なお医者様、アズハルさんが少し出張ってしまうかもしれません。サブキャラを目立たせる時間はないのに(笑)。
「1人でお散歩は危ないですよ、タマ」・・・・・今回の名セリフです。