海上の絶対君主





                                                        
※ここでの『』の言葉は日本語です





 珠生が何かを考えていることは分かっていた。
ラディスラスは騙されたかもしれないが、船医であるアズハルには珠生の突然の腹痛はあまりにも不自然に見えたのだ。
痛いという割には顔色は悪くは無く、嘔吐もない。
そもそも珠生の身体にこの国の食事が合わないのならば、助けた当日に口にした水や食料のせいで、とっくに腹痛を起こしてい
るはずだ。
(それが・・・・・逃げ出す為だったとはな)
 だから、珠生を1人部屋に残してみた。
案の定直ぐに部屋から出てきた珠生は、ラディスラスがわざわざ掛けてやったベールを着けもせずに、そのまま宿から抜け出した。
 そして・・・・・今、この結果だ。
想像していなかったといえば嘘になるが、あれ程ラディスラスの気遣いを受けてもなおそのつもりだったのかと呆れてしまった。
(まあ、女とは違うが)
女ならば自らラディスラスの傍を離れようとはしないだろうが、こんなに可愛らしい顔をしていても珠生は男だったということなのだろ
う。
 「さて、お前は人買いか?」
 アズハルは珠生から赤毛の男に視線を移した。
下品そうな顔の男は、チッと舌打ちをして自分も剣を取り出した。
握り方を見れば男が剣術に明るくないのは直ぐに分かる。きっと今まで力だけで押してきたのだろう。
 「邪魔すんなよ、優男の兄ちゃん。いや、あんたほどの男だったら欲しがる好きもんもいるかもな」
細身のアズハルを見て勝てると踏んだのだろう。
 「ほら、怪我をしない内に帰りな」
 「・・・・・」
 「この子供は俺が見つけたんだ、邪魔はしないでもらいてえな」
 「タマは私の連れだ。勝手に連れ去ろうとしていた男が何を好き勝手に言う」
 「煩せえよ!」
 叫ぶと同時に、男はアズハルに斬りかかった。
両目を閉じていてもその殺気だけで居場所が分かるなと嘲笑を浮かべながら、アズハルは最小限身体を動かすだけで切っ先
をかわすと、そのまま男の真正面を斬りつけた。
それは・・・・・目にも留まらないほどに素早いものだった。
 「・・・・・うあ?」
パラッと、男の着ていた服は身体の真ん中から2つに切れて足元に落ちた。
 「キャー!!」
 「うわっ、なんだ!」
 遠巻きに諍いを見つめていた人々の間から悲鳴やざわめきが沸き上がる。
男は素っ裸になった上、額から鼻筋にかけて、一筋の赤い線・・・・・何時付けられたかも分からない切り傷をそのままに呆然と
立ち尽くしていた。
 「その粗末なものを何時まで見せている気です?」
 アズハルの剣先が、驚愕に縮んでしまった男のペニスを指した。
 「それとも、自慢のものを見せびらかせたいんですか?」
明らかに嘲笑だと分かる笑みを向けた途端、男は悲鳴を上げて逃げ出してしまった。



(す、すごい・・・・・)
 男の腕からは解放されたが足に全く力が入らず、地面にペタンと尻を着いてしまっていた珠生は、ただの綺麗な男かと思って
いたアズハルの予想外の技に、ただ唖然と口を開けているしかなかった。
 何時、動いたかも分からなかった剣先。
まるでスッと線を引いたかのように切れていた服。
もしかしたら彼は驚くほど凄い腕の持ち主かもしれない。
 「タマ」
 『!』
 その綺麗な顔が自分を振り返った時、珠生は心臓が止まりそうなほどビクッと身体を震わせた。
 「まさか、逃げ出す為の芝居とはね」
 『・・・・・』
 「浅はかな子供の考えることですから、こんな目に遭ってしまうんですよ」
何を言われているかは分からないが、その口調と、笑っていない目を見れば、容易に叱られているということは想像がつく。
騙した上でのこの失態に、珠生は身体を小さくするしかなかった。
 「さあ、どうします?」
 『・・・・・っ』
(こ、怖いよ、この人・・・・・)



 「・・・・・」
 明らかに怯えている子供を見て、アズハルは溜め息をついた。
言葉が通じないので仕方がないのかもしれないが、この子は自分がどれ程危険なことを犯したのか、多分分かってはいないだ
ろう。
目立つ容姿の子供が、こんなに大勢の人間が行き交う街を1人で歩けば、誘拐されて売られてしまうのも仕方がないと言える
ことなのだ。
いくら逃げ出したいと思っていても、きちんと計画を立てなければ今以上の恐ろしい目に遭う可能性がある・・・・・実際に体験し
た珠生もよく分かっただろう。
 これ以上叱っても怯えさせるだけだと思ったアズハルは、剣を納めて珠生の身体を抱き上げた。
 『なっ、何?』
 「腰が抜けているのでしょう。このまま大人しくしていなさい」
とにかく、ここは目立つ。
今の騒ぎで、よりこの珠生に注目がいってはまずいことになるだろう。
 「今度は逃げることは出来ませんよ」
アズハルは先程まで休んでいた宿に、そのまま珠生を抱いて戻ることにした。


       



 それから間を置くことも無く、ラディスラスが宿に戻ってきた。
 「ラディ」
 「話は下で聞いた」
宿に戻ったラディスラスは、宿の1階にある食堂で酔っ払っていた旅人の口から漏れた、つい先程起こったという面白い諍いの話
を耳にしたのだ。
登場人物は、すらりとした剣の腕がたつ男と。
裸で逃げ出した赤毛の男。
そして、珍しい黒髪と・・・・・黒い瞳の少年。
誰と聞かなくても、それが珠生とアズハルだということは直ぐに分かり、その瞬間ラディスラスも珠生の腹痛が嘘だということを察し
た。
無闇に心配させたことよりも、勝手に逃げ出して危険な目に遭ったであろう珠生に腹が立った。
 燃え上がるような怒りを抱いたまま部屋に戻ったラディスラスは、そこに珠生とアズハルの姿を見た。
今の話を聞かなければ、きっと気分が良くなったのだろうと安心したところだが、とてもそんな寛大な気分にはなれるはずもなかっ
た。
自分を騙した珠生を賢いと思う反面、なぜという気持ちが大きいのだ。
 「ラディ、子供のしたことです。それに、私がみすみす逃げ出されたので・・・・・」
 「お前がそんな不備をするわけが無いだろう。・・・・・タマ」
 さすがにもう横にはなっておらず、寝台の上に座って俯いていた珠生は、硬い声で自分の名を呼ぶラディスラスを見ることは出
来ないようだ。
膝の上で握り締められた拳も白くなるほど力が入っている。
 「タマ、顔を上げろ」
 『・・・・・』
 「タマ」
 頑なに俯く珠生の細い顎を掴んで顔を上げさせると、ラディスラスは深い紫の瞳で珠生をじっと見つめた。
 「俺が怒っているのは分かるのか?」
 『・・・・・』
 「アズハルが間に合わなければ、お前はその華奢な身体で何人の男の相手をさせられたかわからないんだぞ」
ラディスラスの言葉の意味が分かっているのかどうか、珠生は意地でも目線を合わせないように必死で視線を逸らしている。
自分がやったことがあまりいいことではないと分かっているのかも知れないが、ここで簡単に許してしまえば珠生はまた同じ事を繰
り返すだろう。
 まだ、珠生を見付けてから2日しか経っていない。
それなのに、こんなにも可愛いと思ってしまっている。
騙される怒りも、失う恐怖も、味わいたくないと思うほどに・・・・・。
 「・・・・・躾をしないとな、タマ」
 「ラディ、相手は子供ですよっ」
 焦ったように止めようとするアズハルだったが、ラディスラスはチラッと視線を向けるだけで黙らせた。
そして、全く言葉の意味を理解出来ない珠生に向かって、言い聞かせるようにゆっくりと言った。
 「熱いものは熱い、痛いものは痛い。分かりきったことを教える為だ」



(すっごく怒ってる・・・・・どうしよ・・・・・)
 言葉が通じるのならば話は簡単だった。
海に浮かんでいたらしい自分を助けてくれたことには感謝するが、自分はずっと船に乗っているわけにはいかないと。
ここがどこの何という国かは分からないが、自分は日本に、自分が住んでいた場所に帰りたいのだと。
そうはっきり伝えたいのに、伝わらない言葉がもどかしい。
通じないのならば何を言っても一緒だと、珠生はキュッと唇を噛み締めた。
 「タマ、言うことを聞かない子供には、尻を叩いて躾をするのが親の役目だが、あいにく俺はお前の親ではないし、お前もそれ
程子供じゃないだろう?」
 『・・・・・』
(何言ってるか、分かんないよ・・・・・)
 「タマ、言葉じゃ分からないなら・・・・・」
 不意に、珠生の顎からラディスラスの手が離れた。
しかし、ホッとする間もなく、その手は珠生が来ていた服に掛かる。
(え?)
 「・・・・・ラディ?」
 「・・・・・こんな時に名前を呼ぶなんて・・・・・性悪だな」
 嫌な予感がする。
珠生は助けを求めるようにアズハルの方に視線を向けたが、ラディスラスはそんな珠生の行動が面白くなかったのか眉を顰め、
両手で珠生の頬を挟んだ。
 「俺だけを見ろ」
 『な・・・・・に?』
ゆっくりと近付いてくる唇を、珠生はただ呆然と見つめることしか出来ない。
 「・・・・・」
 『ん・・・・・っ?』
(キ、キスしてる?)



 ラディスラスが珠生の唇を奪ったのを見たアズハルは溜め息をついた。
(しかし・・・・・ラディらしくない)
 海賊の頭と恐れられているラディスラスは、本来は男気のある人間で、嫌がる相手や年端のいかない者を無理矢理組み敷
くことなどは今まで無かった。
元々恵まれた容姿を持つ彼に群がる女は多く、ラディスラスはその中から上等な女だけを選んで遊んでいた。
一度抱かれた女達は例外なくラディスラスの虜になったが、彼が誰か1人に心を動かされるということは無かった。
 だからこそ、今回のラディスラスの行動は、もう何年も彼の傍にいるアズハルには頷けないほど不思議なことだった。
確かに珠生は綺麗な顔立ちをしているし、着替えさせる時に見たが肌も透き通るほどに白く艶やかだ。
抱いてみたいと思うことがあっても可笑しくはないが、それが無理矢理となると話は別だ。
(・・・・・まさか、こんな子供に・・・・・?)
 舌が絡まる音が聞こえそうなほどの激しい口付けをいったん解いたラディスラスは、珠生をじっと見つめながら艶かしく濡れた唇
を親指で軽く拭った。
その姿はアズハルの目から見ても色っぽい。
 「アズハル」
 「・・・・・はい」
 「このまま出ていろ」
 「ラディ」
 「心配するな」
 「・・・・・分かりました」
 アズハルは一瞬珠生に視線を向けた。
激しい口付けに唇を真っ赤にした珠生は、いったい自分が何をされているのかも理解していないという風に、ただ目を丸くして天
井を見上げている。
 「・・・・・」
エイバルの船長であるラディスラスの行為に一介の船医が口を挟めることなど出来ず、アズハルが珠生の為にしてやれることは
せめて部屋から出ていくことだけだ。
 軽く一礼をして部屋を出たアズハルは、心配そうにドアを振り返る。
 「壊さなければいいが・・・・・」
あの未熟な身体がラディスラスを受け入れることが出来るのだろうか・・・・・アズハルはもう開くことが出来ないドアに向かって小さ
く呟くしかなかった。





                                             





どうしよう・・・・・次回で第5話です。終わろうと思えば終われるような・・・・・でも・・・・・。
次回はタマがお仕置きをされます。最後までするかしないかはその時の気分で。
とにかく、次回が5話目・・・・・(泣)。