ANGEL SMILE
Friday 2年1組の幸と不幸
「おはよう」
少し高めの耳障りのよい声が聞こえる。
その声がした瞬間から、2年1組の慌しく、しかしそれ以上に幸せな1日が始まる。
日向楓・・・・・日向組組長次男。
この名門男子校の入学式で、入試をトップの成績で合格したのがヤクザの息子だという噂を聞いた時、誰もが不正や金品
の授受を疑った。
しかし、その疑念は、新入生総代として挨拶で壇上に上がった楓の姿を見た瞬間、自分達の偏見にたちまち後悔する事と
なる。
それほどに楓の容姿はずば抜けて美しく、穢れなど知らぬ微笑の主だった。
進学クラスの1組の人間は更に顕著で、一緒に授業を受け、学生生活を共にする中で、楓の実力が本物であること、そし
てその性格が穏やかで無邪気なことを知った。
初めはヤクザの息子と同じクラスだということに不安や不満を抱いていた保護者達も、入学して直ぐ行われた授業参観で
実際に楓と接することで安心し、更に母親達はその時来ていた楓の教育係というスマートな美貌の男に完全に心を奪われ
たようだった。
2年に進級した今も、クラスの顔ぶれはほとんど変わらない。かえって楓と同じ進学クラスになりたいという希望者のせいで、
学年の学力が上がったくらいだった。
「楓、今日は体育出れるのか?」
「うん。今日の調子はいいから」
見かけ通り身体が弱いらしい楓は、頻繁に体育を休んで保健室にいるが、今日は出れるらしいと聞いて一同は密かに心
の中で歓声を上げた。
同じクラスの特権として、楓の生着替えが見れるからだ。
「今日は外だからな。気分が悪くなったら直ぐに休めよ?」
「ありがと、田代君」
にっこり笑って礼を言われると、クラス委員の田代は微かに顔を赤くする。
「楓、楓、お前今日日直だったよな?用具の出し入れは俺に任せとけよっ」
「頼りにするね、井上君」
田代に向いていた視線を自分に向けることが出来たバスケット部の井上が、ふふんと自慢そうに笑った。
それを皮切りに、一同は我先にと楓に話し掛け、楓もその一つ一つに笑顔で答える。
「あ、急がないと遅れるよ?」
時間が迫ってきたことを告げた楓の言葉に、一同は慌てて体操着に着替え始めた。
男子校で、当然教室にも男しかいないので、皆平気で下着姿になって着替えるが、なぜだか教室の一角に視線を向けるこ
とが出来ない。
窓際の1番前の席で着替えている楓を直視出来ないのだ。
「今日はいい天気だね」
楓はのんびりと言いながら、ゆっくりとシャツのボタンを外し始める。
どこからか、数人の唾を飲み込む音がやけに大きく響いた。
「お、楓、相変わらず白いな、お前」
クラスメイトの1人、牧村徹が馴れ馴れしく素肌の楓の肩に触れ、見ていた者達の目に剣呑な光が生まれた。
牧村徹もかなり目立つ生徒だ。ナンパな遊び人だが、進学クラスに入れるほどの頭の良さと要領の良さをもっており、下級生
からの人気もあった。
この遊び人と楓がなぜ仲がいいのか・・・・・それは周りにいる者の最大の謎だ。
「牧村君は綺麗に焼けてるね」
「おお。ま、お前が日焼けした姿なんて想像が出来ないがな」
そう言いながら、華奢な楓の背中にツーっと指を滑らせた。
「「!!」」
高校2年生だというのに、全く脂ぎっていない滑らかな白い身体。細すぎるというわけではないものの、自分達とは骨格が違
うのかどうしても華奢に見えてしまう。
そんな男とも女ともいえないような不思議に魅力的な身体に事も無げに触れる牧村が羨ましく、憎らしい。
「牧村っ、早く楓に服を着せないと風邪ひくだろ!」
「はいはい」
「ごめんね、田代君、早く着替えるね」
慌てたように体操着を頭から被った楓の、綺麗な身体はたちまち隠れてしまう。
助け舟を出したはいいものの見る楽しみを削られた一同は、いっせいに田代を睨んだ。
次に1組の人間が神経を尖らすのは昼食時だ。
弁当組と学食組に分かれるが、楓はほとんど弁当を持ってきているので教室にいる。
すると、他のクラスや先輩、後輩が、ひきりなしに楓を誘いに来るのだ。
純粋に楓の容姿を眺めるだけで満足する者が大多数だが、中には人気のない空き教室に連れ込んで悪さをしようと狙って
いる者も少なからずいた。
偶然そんな彼らの会話を聞いた1組の人間がクラスの者に話し、一同は団結して楓を守る為に動くことになって、クラスメイ
ト以外と食べる時には、必ず2人以上が一緒に行くことになった。
1人だけでは丸め込まれる心配があるからだ。
「日向、一緒に飯食わないか?」
「先輩」
「先輩、俺らもいいですか?」
「・・・・・お前達も?」
「大勢の方が楽しいしね。先輩、いいでしょう?」
何も知らない楓が無邪気に言えば、必ず相手は折れ、保護者付きの食事となるのが常だった。
移動教室の時も油断がならない。
それぞれの学年棟には幾つかの特別教室が分かれてあったが、そこに行き着くまでが大変だ。
1年生達はまだ上級生に対しての遠慮があるが、3年になるとなかなかそうはいかない。
「日向〜、ちょっとここで休んでいけよ」
「今から授業ですよ、先輩」
「うちは5限自習なんだ。遊ばないか?」
「僕は自習じゃないから」
からかい混じりの本気の言葉に、律儀な楓は一々答えていく。
その反応が嬉しいのか、各教室からは何人もの声が飛んできた。
「はい、はい、先輩方。俺ら時間迫ってますから」
そんな上級生相手に飄々と対応出来るのは牧村だ。
どういう繋がりがあるのか顔の広い牧村は3年にも名前が通っているらしく、牧村が口を出すと仕方がないという風に諦めてい
く。
楓は申し訳なさそうに軽く頭を下げた。
「ごめんなさい、先輩」
「い、いや、いいって」
ここでもまた、天使の笑顔の威力は絶大だった。
「じゃあ、またね」
放課後、家の用があるからとホームルームを欠席して教室を出た楓は、ドアを閉めた瞬間焦ったように小走りになった。
「遅れる・・・・・っ」
ついさっき、伊崎からのメールがあった、所要で近くにいるから待っているという内容だ。
そこにはホームルームをサボれとは書いていなかったが、一刻も早く伊崎に会いたかった楓はさっさと担任に断って、こうして一
足先に教室を出た。
「・・・・・っ」
その頭の中には、愛しい恋人のことしかなかった。
「今日も可愛かったな・・・・・」
ポツリと呟いた田代の言葉に、誰もが無言で同意していた。
このクラスの彼女保有率はほぼゼロだ。
ケバケバしい今時の少女達よりも可憐で清楚、そして類稀な美貌の主である楓を毎日間近で見ている彼らにとって、他に
目がいく余裕など無かった。
「3年の大島、擦れ違いざま楓の尻を撫でてたぜ」
「うわっ、最悪だな。4組の前を通る時は要注意だな」
「野球部の奴らも、応援に来てくれってしつこいし」
そして、ホームルームが始まる前の僅かな時間に、今日の出来事を各自報告し、明日以降の注意とするのが日課になっ
ている。
傍目から見ればかなり不毛だが、2年1組の人間にとっては、楓とクラスメートという特権を守る為の大切な要素だ。
クラス委員までもが先頭になって協議を始める姿を、牧村は溜め息をつきながら眺めていた。
end
Top Tuesday Thursday Saturday
Monday Wednesday Friday Sunday
今回は2年1組、クラスメイト編です。こんな同級生がいたら大変ですよね。
牧村は微妙に出張っているし、彼らの卒業後が心配です。