ANGEL SMILE



                                             Monday  牧村徹の優越





 「お、いるいる」
 何時も以上に人だかりが出来ている校門に視線を向けると、牧村徹(まきむら とおる)は面白そうな笑みを浮かべた。
近付いていくうちにその原因の姿ははっきりと姿を現わし、牧村はただ遠巻きに立ち尽くすだけの人垣から一歩前に足を踏み
出した。
 「おはよ」
 「おはよう、牧村君」
 直ぐに戻ってくる天使の笑顔と柔らかな声。
我ながら単純だとは思うが、これだけで朝早く登校してきた甲斐があったと思ってしまう。
 「ご苦労さんだな」
 「そんなことないよ。朝から皆の顔が見れて嬉しいし」
 「・・・・・」
(嘘つき)
 「牧村君も遅刻しないでこんなに早く来る事が出来るんだから、何時もその調子で頑張って欲しいな」
 「はいはい」
(見事な天使ぶりだな)
内心全く別の事を考えながら、牧村は相変わらず綺麗な微笑を浮かべる天使をじっと見つめた。


 男子校に舞い降りた可憐な天使・・・・・学校中の誰もが認めるその人物の名は日向楓(ひゅうが かえで)といった。
入学式の時、体育館のステージに立って新入生代表の挨拶をした瞬間から、校内の全ての男(教師も含む)を虜にした。
家がヤクザという特殊な環境ながら、元々『日向組』は地域に溶け込んでいる昔ながらの任侠ヤクザで、それ程忌み嫌われ
ていたわけではなかったし、何より楓の容姿だ。
そんなことを全く意識させることもない穏やかで優しい物腰に、さらに周りの状況など全て打ち消すほどの美貌は『日向組に
入る』という生徒達を続出させたくらいだ。
 偶然街中で楓のもう1つの顔を見た牧村も、いまだにどちらの楓が本物なのか迷う瞬間がある。
外での楓は自由奔放な女王様で、口も目付きも悪いが魅力的な小悪魔だ。
一方、学校での楓は品行方正な真面目な生徒で、優しく微笑む姿は守ってやりたくなる庇護の対象だ。
 どちらも魅力的で、牧村はそんな楓の2つの顔を知っていることが密かな自慢だった。
 「牧村君?」
 「あ、いや」
 「今日は授業サボらないようにね」
(人のこと言えないだろ)
 「単位足りなくなっちゃうよ?」
(保健室でのお休みタイムもサボりだぜ?)
 「聞いてる?」
 「はいはい、聞いてるよ」
(ほんと、盛大な猫被ってるよなあ〜)
 楓が週に何度か保健室で過ごす数時間。
しかし、それはけして身体が弱いとか、気分が悪いなどという理由でのことではない。
前日の恋人との激しいセックスの疲れからであることを知っているのは、きっと牧村だけだろう。
気だるげな様子や、時折ワザとのように残されている首筋のキスマーク。独占欲が強いだろう恋人が、なかなか目の届かない
学校の中で意図して牽制しているのだろうと思う。
 楓本人はそんなことには無頓着というか、変な意味で温室育ちなので、そんな恋人の切実な想いにはきっと気付いていな
いだろう。
もちろん、牧村も教えるつもりはない。
わざわざ自分だけが知っている特権を、人に教えてやろうとは思わなかった。


(しっかし、生徒会も考えたよなあ)
 教室にではなく、そのまま屋上に向かいながら牧村はぼんやりと考えた。
特殊な家庭環境のせいで、楓は役員という肩書きはおろか、クラブ活動もしていない。
しかし、学園内で絶大な人気を誇っている楓をそのまま放っておくのはもったいないと思ったのか、楓が入学してから半年ほど
経った頃から、不定期の月曜日に校門の前で挨拶に立たせることを提案した。
(正解だったな、あれは)
 都内でも有数の名門男子校とはいえ、やはり最近は規律が乱れがちで遅刻もサボりも多く、節目の行事にも参加しない
者も多くなっていた。
 しかし、楓の姿がそこに積極的に現れることによって、生徒の参加率はほとんど100%に近くなった。それは生徒会の作戦
勝ちだろう。
不定期のはずの楓の挨拶当番がなぜか知れ渡っているのは、生徒会がその情報を漏らしているとしか考えられない。
 「ま、俺も餌に釣られた魚だけどな」


 「日向、一緒に学食行こうぜ」
 「あ!今日は俺に付き合ってくれよ!」
 昼休みになった途端、楓の机の周りには何人もの同級生が我先にと集まっていく。
 「この間、俺譲ったんだからな!」
 「それなら俺だって!」
 「待てよ、順番は・・・・・」
 「楓先輩!」
そうこうしているうちに、廊下からも声が掛かってくる。
楓は困ったように目を伏せた。
 「誰か1人なんて選べないよ・・・・・」
 「あ、いや、そうだな」
 「別に楓を責めてるわけじゃないぜっ?」
 少し丸みを残す白い頬に長いまつげの影が落ちると、ゾクッとするような色気を感じさせる。
それが単に見惚れるような類のものか、それとも性欲に直結しているものかはそれぞれ違うだろうが、どちらにしても脳の中の
何かしらの欲望に直結する力が楓にはあるのだ。
 「あの、良ければみんなで中庭で食べない?僕、今日はお弁当なんだ。おかずの交換とかしたら楽しいと思うんだけど」
 その提案に、反対する者は皆無だった。
 「賛成!」
 「あ、俺も俺も!」
 「楓のおかずと交換かあ〜」
 「俺、パン買ってくる!」
 イスから立ち上がると、体格のいい生徒達に囲まれた楓は一段と華奢に見える。
賑やかな一行が教室から姿を消すと、誰ともなく溜め息が洩れた。


 そして放課後・・・・・。
帰宅しようとのんびり校庭を歩いていた牧村は、校門のところで数人に囲まれた楓を見つけた。
何時ものように笑いながら話していたが、その目の中に違う光があることに気付いた牧村は、苦笑しながらその輪に近付いて
いった。
 「楓」
 「あ、牧村君」
 楓ほどではないが、校内でも目立つ存在の牧村の登場に、楓を取り巻いていた生徒達が少し離れていく。
 「じゃあ、また明日」
ごく自然に輪から抜け出した楓は、軽く牧村の腕を押して歩き始めた。
 「・・・・・どうしたんだよ、今日は珍しくイラついてたみたいだけど」
 「放課後家に来いって煩かったんだよ。まったく成金が」
 周りに学校の生徒達の姿が見えなくなると、楓は今までとは打って変わった乱暴な口調になる。
しかし、牧村にとってはこの方が楓らしかった。
 「そんなの、何時も上手くかわしてんじゃん」
 「面倒だったんだよ。お前が来なかったら手が出てたかもな」
 「ウソウソ」
 話しながら、牧村は隣を歩く楓の横顔をじっと見つめる。
(この身体に触れたなんて・・・・・今でも信じられないな・・・・・)
半ば騙すように、この綺麗な身体を堪能した。
最後まではしなかったが、もしも入れていたとしたら、恥ずかしいほどあっけなく果ててしまったかもしれない。
(無意識で誘うくせに全く無知なんて、ほんとサギだぜ)
 最愛の恋人を手にした今、楓はもう二度と牧村に身体を差し出すことはないだろう。すごく残念だとは思うものの、あれ以上
触れて深みに嵌ることがないのは・・・・・良かったかもしれない。
 「今夜、時間ある?」
 不意に楓が切り出した。
 「今夜は煩いのがいないんだ。久しぶりに遊ばない?」
 「い〜ね。何時ものとこ?」
 「どっか新しいとこ連れてけよ。お前の趣味はいいからさ」
 「・・・・・OK」
多分、その言葉は計算していないだろう。お前だけは特別だと言われているみたいで、牧村はおかしいくらい気分が高揚する。
 「じゃあ、また後で」
 「ああ」
 手を振って行く後ろ姿を見送れば、その先には最近見慣れた背の高い男が立っている。
ほとんど無表情な男の顔が、楓が近付くにつれて僅かに笑みを浮かべるのが分かった。
(可哀想に。あいつも捕まっちまったのか・・・・・)
 「・・・・・案外、可哀想でもないかもな」
 自分自身がそうなのだ。
 「さてと」
今夜、久しぶりに夜の楓と会える。褒められたからには変な場所には案内出来なかった
(あ〜・・・・・俺ってマゾかも・・・・・)
それでも、楓から差し出された小さな信頼に、牧村は大きな優越を感じていた。



                                                                 end





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今回の連載では、「他の人間から見た楓」という設定です。
まずトップバッターは、楓の同級生 牧村徹。
結構美味しいとこをとっている彼の日常の一片です。